お楽しみ様です。小野貴正です。
先ほどまでビーコンコーチングの船戸さんと話をしていたのですが、、、スゴイ一言が飛び出しました。
話の流れはこんな感じです。
セールスレターを書くときにリサーチをするけれども、なかなか人は物事の本質まで見ることができない。思い込みにとらわれてしまって「色メガネ」をかけて物事を見てしまっている。では、一体どうすれば物事の本質、セールスレターを書く場合においては商品やサービスをありのままに見ることができるのか?
すると船戸さんが一言。
「小野さん、ありのまま見るってどういうことですかね?」
待ってましたとばかりに僕はこの時、潜在意識を使ってぼやっと見ることだ・・・みたいなことを言おうとしたのですが、その前にまた船戸さんが、
「言葉を外す、ってことですかね・・・」
ときた。コレには僕もガツンとキタ。コレはすごい言葉だ、と。言葉を外すという言葉にガツンとキタ。コレ、エライわかりやすい。
言うなれば僕らは言葉で世界を見て世界を語っているといえるほど、普段から言葉を使っています。そしてその言葉が持つ意味を各々が主観的に捉えてしまう傾向もある。だから、定義がバラバラになるからコミュニケーションができなくなるんじゃないか、ってことでもあるのですが・・・
今回の場合は、ありのまま商品やサービスを見るなら、一旦その言葉に付いている言葉を外すといいんじゃないかってことです。
例えば、「コップ」と聞くと、水を飲むものとかお茶を飲むものとか、そういうものを想像する人もいるでしょう。しかしここで「コップ」という言葉を外して、「モノ」そのものを眺めてみるとどうか?
「入れ物」としてピーナッツを入れてもいいし、ペン立てにしても使えることに気づきます。下から水分がうっすらと抜けていく土の焼き物ならば、土を入れて植物を育てる入れ物にしてもいい(かもです)。
しかし僕らは「コップ」と言った瞬間に「コップとは水を飲むものだ」みたいなイメージまで主観的に捉えてしまい、ソレ以外の使い道までは考えにくくなるもの。
言葉の定義としては「コップ」といえば誰もが似たようなものを想像できるので、コレは名詞とか動詞の力だよな、と思う反面、
セールスレターを書く際に何らかの価値提案をする場合、いったん「コップ」から離れてそのものを見てみないと、その「モノ」に在るベネフィットは見えないものです。
本質を見ぬいた上で、その言葉を使う。コレこそコミュニケーションを使って生きていく僕らが担わなければならない役割だよな、と思ったので、
船戸さんに確認した上で、今日のエピソードを紹介することにしました。
「言葉を外してありのままを見る」
参考になれば、うれしいです。
コメント
名指しすことで存在する、というような意味合いを持つ言葉を以前今井先生のお話で理解した記憶があります。
名指すこととでそのものの用途や意味を定義してしまうからというふうに解釈していますが
今回の話は逆なのですね。
素晴らしい考え方だと思いました。
おそらくですが、、、
「名指しされる存在である」場合、
「◯◯な人だよね」、というラベルが貼られている状態です。
ワイズマンなら
「ああ、あの事業プランナーの」
「ああ、ワルの人ね」
「ああ、今井先生ね」
こんな感じに、
あるコミュニティ内において共通認識がある状態です。
マーケティングができている状態とも言えるかと。
こうなると認識にズレがないので、
「名指しする」ことができるのかな、と。
つまり、「名指し」の前にすでに「在る」わけですから、
実は名指しの前に「ありのままを見ている」ということです。
僕の認識だと、
「ありのまま見る」→「ソレを定義する」→
「共通認識がズレない言葉を選ぶ・作る」→「名指しする」
こんな感じです〜
ちなみにワイズマンはアウフヘーベンとか天源とか
一見「なにそれ?」という言葉を使いますから、
あえて使わない言葉を出すことで、
認識のズレをなくしているのだな、と。
コレはワイズマンもそんなことを言っていたような気がします。
知らない言葉なら辞書で調べるか、
それを言う本人に聞かないと意味がわからない。
だからココで思い込みを外すことができる。
ある言葉に関する共通認識を持つことができる。
それがコミュニティになる。
こんな感じかな、と。
ありのままを見ることと名指すというのは
相反することかもしれませんが、
本質を見る、本質を見させるという点では
同じかな、とも思います。
そうそう、、、
名指す、ラベルを貼ることは、例えば、
「slowmanさんて男気あふれる約束を守る人ですよね」
と先手を打って「名指し」することで、
slowmanさんも「そうであろう」とする力が働きます。
コレは『手紙屋』(ディスカヴァー21刊)で最近知った
耳寄り情報ですので、
そっとお伝えしておきますね。