ビジネスは、内的「べき」と外的「べき」が自然と一致していること。

ビート・ザ・コントロール
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新宿御苑にいます。

昨日28日は満月でしたね。満月と合わせて台風が通過し、個人的には7月のテーマだった再新再生が言葉になったかな、と感じています。

あらためてその言葉を言語化してみると、ビジネスは、内的「べき」と外的「べき」が自然と一致していること、かなぁと。

カンちゃんが参加するということで、昨晩は秋葉原でカンちゃんとザッキーさん、ハルキャットさん、島田さんと僕とで集まり、ユーゴスラビアツアーや島田さん経営法人の再構築資料、各自の2018年上半期振り返りと下半期展望について情報共有しました。

そこで島田さんから、こんな言葉が出ました。

「うまくいっている人は、そう考えてはいない」

誤解があるとよろしくないのですが、コレにはとても頷けました。。なんでも、そのうまくいっている人というのは、提供するサービスが満席御礼し続け、参加者もその学びを世の中で発表していると。

なぜ頷けたかというと、「考える」ということの怖さを、僕は体験していたからです。

意識して考えれば考えるほど、うまくいかない。意識して考えて行動しても、うまくいかない。

こんな経験を僕は、2017年にしてきたと振り返っています。例えていうと、向かい風の中をあえて走っている。いや、それどころか、無風状態の中でたたずんでいる。

2018年の上半期でそれを知り、7月に再新再生を行い、下半期を追い風の中でふわーっと飛んでいく、そんな計画です。

「そう考えてはいない」とはいっても、本当に考えていない、ということではなく、考えています。

例えば僕の場合なら、目の前に現れた現象、数字は書き留めておき、考える判断基準とすることを学びましたし、判断基準となる材料を集めてから、さてどうしようか、と考えています。

法人税の予定額から、広告に投資しようと決めた、のようにですね。

「そう考えてはいない」とはどういうことか?

僕の解釈では、内的「べき」と外的「べき」が自然と一致しているならば、そもそも考える必要はない、ということだと考えています。

では、内的「べき」とは?

これは、自然と内側から湧き出てくるような気持ち、欲求、やりたいこと、のことです。それが自分の内側から自然と出てくる以上、やるべきだ、ということですね。

周囲の人たちがマーケティングを学んでいるから自分も学ぼうとか、周囲の人たちが○○だから、自分も○○だ、というものではありません。

自分の内側から、身体の奥から、自然と湧いてくる気持ちです。たとえば、次男のケツがあまりにも美しい曲線を描き、弾力に富んで健康然としているから、思わず触ってしまうとかですね 笑。

そして、外的「べき」とは?

これは、周囲から求められていることです。周囲からどう見られているか、周囲が見たその人の印象、イメージ、と言ってもいいかもしれません。

例えば僕の場合、「軽そう」「重そう」でいったら「重そう」と多くに言われますし(実際の体重がではなくて、印象がです)、「背が低そう」「背が高そう」でいったら「背が高そう」と多くに言われます(実際の身長よりも高く見られることが多いです)。

自分ではそう思っていなかったのですが、「職人ですよね」と言われます。昨日も一致していました。職人肌なのだそうです。

だから周囲からすると、僕は職人っぽいほうがいいよ、となるわけです。

大切なことは、内的「べき」と外的「べき」の一致なんだと思います。

自分の内側から自然と湧き出てくる気持ちと、周囲という外側から自然と求められるイメージ。

ここに自分ならではの提供できる価値があります。

すでに需要があるのだから、それを提供すればいいだけです。

それが繰り返されて、影響力の輪が広がるように、事業やビジネスというものも必要なだけ大きくなっていく。

だから、考える前にやるべきことがあって、それが内的「べき」と「外的」べきの一致なんじゃないかな、と。

一致しないのであれば、考えてもうまくいかない。なぜなら、需要がないからです。

そして、「外的」べきは個人に対してだけではなく、法人など組織や商品やサービスなど有形無形のものにも当てはまります。

あらためて、考えるには材料が必要だ、コピーと同じですね、そんなふうにも思った、昨晩のミーティングでした。

P.S.
ビジネスだけではなく、よく生きるには必要なことでもありそうだとも感じています。

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コメント

  1. […] 昨日の続き。 […]

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