石垣島到着後、日本人の祖先たちはどこにいったのだろう?何を求めて、何のために?
石垣島到着後のグレートジャーニーでは、こんなテーマを頭に置いて、石垣島を一周。白保竿根田原洞穴遺跡に行こうと思ったけれど、どうやら気軽に行けそうな場所でもないようだったので(草木を掻き分けて行く場所とレビューに書いてありました)、3時間程度で周ることができると調べておきまして、まずは一周。
海がキレイなことはもちろんですが、この時期なのに日差しは暑い。たぶん日焼けしたんじゃないかな、という程度に太陽の近さを感じました。
暑いだろうな、とは思ったので僕の出で立ちはというとTシャツにハーフパンツ。石垣島を歩く人々を見ていると、皆さん涼しげな格好だったので、コレでも大丈夫だったのですが・・・日中は。
石垣島にやってきた日本人の祖先たちも夕日は見たであろうから、夕日を見にバンナ公園へ。ここにはエメラルドの海を見る展望台という名称の展望台がありまして、ここからの夕日はいいのだとか。
この日のサンセット時刻は18時56分だったかな、それに合わせて移動すると、20分ほど余裕を持って到着。
展望台に上がり、すでに赤くなった夕日が遥か彼方の西表島へと向かう様子を眺めていたのですが・・・寒い。
この時間になると太陽の熱さは届かず、風が吹くとなかなかの寒さ。
Tシャツ一枚しか持っていなかった僕は、コレは夕日どころじゃない、と思ったものです。
そうはいっても、夕日を見て祖先たちがどんなことを思ったのかを考えることが課題のひとつではありましたから、暖を取るためにウロウロしながら考えてみました。
そんなときふと思ったのは、船に乗って海からやってきたのであれば、この時間に船だと水かぶったら寒いんじゃないか、ってことでした。
今でもそうですが、水かぶったら服は濡れますから、そんな時に夕日の時間になって風が吹くとエラい寒かったんじゃないかと思います。
当時何を着ていたかはわかりませんが、ウェットスーツみたいなものを着ていたということは、3万年前においてはないと思いますので。
じゃあ、夕方から夜の航行をしていなかったとすると、日中の時間だけで海を移動できる距離に島とか沿岸部はあった、ってことかなぁ、とか。
そんな事を考えていました。当時は今よりも海面が低く、陸地が多かったようですので。台湾から与那国島や西表島が陸地でつながっていたかどうかはわかりませんが、南西諸島の中でも先島諸島はその昔、陸続きだったという話もあります(ハブの生息地からすると、そういう分析ができるようです)。
船の種類はともかく、目に見える島に飛び移っていくかのような、そんな航海だったのかもしれません。
それほど、寒いというのは僕から冒険心を昂ぶらせるものではなかったです。むしろもう帰りたい、とか呟いていましたから。
じゃあもしかしたら、石垣島に到着した祖先たちも、寒さをしのぐためにどこかへ移動したかもしれないなぁ、と。
洞穴とか、ですかね。
実際、白保竿根田原洞穴遺跡の名称にあるように、洞穴では風葬の様子を伝える人骨が発見されたと聞いています。
石垣島に到着した祖先たちは、水を求めて、食べ物を求めて、そして寒さをしのぐ場所を求めて、移動していったのではないかと感じたサンセットでした。
体験してみると、それが事実かどうかはさておき、感じて言葉になることはあるものです。
今日は白保の集落に行ってくる予定。サンゴ礁で有名な場所のようです。
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