違和感にフタをしない。

License to beat
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自分自身のことは自分よりも周囲の方が知っているとはそうだよなぁ、と思うことが多々ありまして、例えば今日の自分という器クラスでの出来事。

その彼は、自分の子供が生まれ故郷を誇れるようにしたい、のようなことを言っていたのですが、コレにはいい言葉だと思いつつも、僕自身はどことなく違和感を感じておりまして、思わず、本当ですか?と(失礼しました・・・)。

それは、その彼の過去の経験や言動からすると、生まれ故郷を誇れるようにしたい、という言葉が合っていなかったからです。

本心でそれを望んでいるかどうかというのは、それはもちろん素晴らしいことなのかもしれないけれど(僕もその昔そんなことを言っていました)、世の中に価値を提供するのであれば、「自分が望んでいるかどうか」よりも「他者がどう感じているか」「他者が何を望んでいるか」のほうが大切だったりします。

若い時にアメリカに音楽の武者修行的な事をやりにいってしばらく日本に帰ってこなかった人物が、帰ってきたら地元を盛り上げたいという。

確かにそういうことってあるでしょうし、海外に出て日本の良さ、地元の良さを知って恩返しをしたくなった、というのはよく聞くような話でもありますが、どうも結婚やお子様ができたことをキッカケに、そういうふうに考えなければならないんじゃないかという圧力的なものを、自己のリーダーシップとか責任感的なところから考え出してしまっているんじゃないのかな、とも。

もちろん、そういう人生を望み、そういうふうにまわりの圧力に応じて生きたほうがいい人もいるとは思いますが、僕自身は家族よりも子どもよりも、そもそもその人がどんな生き方をしてきたかの方に重きをおいたほうがいいんじゃないかと思いますし、僕自身は常にそう在ろうと考えています。

自分の生き方がなんか他の圧力があって・・・というのは、実は自分自身が違和感として感じていることだとも思いますし、そういうものにはフタをしないほうがいい。

人によっては勇気のいることだとは思いますが、フリーランスなり独立起業なり、そんな生き方を選ぶのであれば、「ラクな」方を選んだほうがいい。

求められていることをやるのであれば、別にその他の人から認められなくたって、その他の人から評価されなくたっていいじゃないか。そんな風にも思います。

こういう道を選んだのであれば、それを楽しんでいければ。

地元の駅に帰ってくると、毎年恒例の七夕まつりでひとがいっぱい。

お祭りに人が集まるというのは、10年経過しようが20年経過しようが、そう変わるものではないんだな、ということに安堵しつつ、そういう人が楽しめる場をいつまでも用意できるような、そんな男っていいよな、とは思いましたが、

別にそれは僕じゃなくなっていい。僕は僕で求められていることを、やる。

身体は、物理的にはひとつなのですから。

暑い夏、ですね。

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