自分自身にしかわからない。

License to beat
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「小野さん、顔色良くなりましたね」

鈴木さんが注文してくれた料理を食べているとき、僕はあるプロジェクトのメルマガを書いていたわけですが、この一言にエラく興味を惹かれまして、しばらく歓談。

「当初に比べると随分良くなったと思いますよ」

「実は母からも眉間にしわが寄るようになった、険しい表情でいることが増えたと言われていたのですが、最近は良くなった感があったんですよ」

何に驚いたかというと、顔色や身体の変化を鈴木さんはよく覚えていること。

僕から「最近顔色良くなりまして」と切り出したら、「そうですね」と返すひとはいるかもしれないけど、記憶を辿って顔色良くなりましたね、というひとってなかなかいない(といったも、僕の周りには多い方だと思うけれど)。

生を全うするとか本分を知るとか、そういう話をしていることもあって、鈴木さんの生い立ちから日航機の話、『上を向いて歩こう』の話など、知っていた話もあれば「へえ!」と驚く話が次々と。

その見た目や雰囲気からすると信じられないような話もあり、しかしおもしろいもので、そうはいっても鈴木さんならそういうことをしていても不思議じゃないよね、とも思う。

意外性のある話でも、人は両極を見ているものなのだろうな、と感じた話でもありました。

全く異なるような話でも、その背景に流れているテーマは一貫しておりまして、だから今鈴木さんが治療家として、ファンクショナルトレーナーとして活躍しているのはよくわかる。

なぜそれをやるのか。

そこに必然性がある。

たまに、「僕が何に向いているか、僕の生きる意味は何なのか、わからない。これを教えてほしい」、というような質問を受けることがありますが、

あまりうれしい答えではないかもしれないけれど、それは「自分自身にしかわかりませんよ」という回答がフィットしていると思う。

他の誰かに理解して貰う必要はなく、自分自身がそれにうなずければいい。だけれども、より良く見られたいとか、そういう気持ちが入ってくると、どこかで聞いたような無難な言葉が出てくる。

その言葉に違和感を感じていることにフタをして。

生まれも環境も違うわけだから、違ってしかるべきだとぼくは思うけれど、自分という器クラスのディスカッションででた意見のように、「入ってくる情報が同じ環境にいれば」似たり寄ったりの目標とか、生き方が言葉としてでてきても、それは普通なんですよね。

より良く見られたいとか、そういう欲求はあってしかるべきだし(もちろんない人もいるかもしれないけれど)それはそれでいい。

しかし、誰もが言えることに自分の生きざまはないということ、人から教えられるものではないということは、知っておいたほうがいいように思います。

「一通り経験する」とは鈴木さんが言った言葉ですが、これは大切な視点だと僕は考えています。

自分という器クラスのコンセプトって、「初めての体験をして初めての人と会って、自分という器を広げる」というものですから、一通り経験して知らないことがない状態になりましょう、というもの。

一通り経験してこそ、自分というものが見えてくる。

身体を使って行動する、体感する、感じる。

セールスライティングはもちろん、どんな仕事をするにおいても、そして生を全うする上でも、大切な視点だと、僕は思います。

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