今日はタレント化プログラムの対面セッションを行いにディズニーランドまで。
もう冬休みに入っているかのような人だかりでして、空の青さ空気の透き通り具合に気分は盛り上がるものの、
そうはいっても学生の時に行ったディズニーランドに比べたら落ち着いたもの。
今思えば、これは僕がそれほどディズニーランドに情熱を感じていないということなんだろうな・・・。
妻が年末にディズニーランドに行ってみたいと言うのですが、多分寒さからしてすぐ帰るとかいうかもしれませんし、はたまた長男次男がもう並ぶのやだーとか言うのかもしれません。
冷静に振り返ってみると、彼らは常日頃ディズニーを観ているわけではなく、妻もそれは同様です。
ああ、そうか、妻にとってディズニーランドというのは、日本を象徴するもののひとつなんだな、と気づきます。
僕が、タイといえば象だよね、とか、カオニャオマムアンだよね、とか、ゴーゴーだよね、というようなもの。ちょっと違うかな。
僕の方は勝手なイメージで恐縮だなぁ、と思いつつ、国が違うとまぁこれも仕方ないと思ったりします。
個人的には最もインパクトのあったことを自分の主観でさらにインパクトがあるように語りたくなる傾向があるというか。
コピーを書くときにはオーバープロミスに注意するものの、いいなぁと思うサービスほど、熱量と冷静さのバランスが大切。
なんの話だったっけ・・・
それがいいイメージであろうとそうでないイメージであろうと、人は自分とはこういう人間であると考えるものだと思っています。
面白いなぁと思うのは、そのイメージって結構はたから見たら見当違いのことがあったりするものでして、
たとえば僕の場合、このブログを読まれる方々は僕のタイ話を最も面白いと思ってくれているはずだ、というもの。
しかし
以前にも書いたことがありますが、このブログで最も読まれない記事のひとつが、僕のタイ話だったりします。
これはページビューとかを見れば明らかで、セールスライティングの関するテーマと比べると、半分とか三分の一とかになります。
それでも僕は、いやいや、そんなことはない。きっと皆さんタイミングがよろしくなくて、見ることができないんだよ・・・
と自分をなぐさめたりしています。
しかし数字を見ればそれは明らかですから、それにちゃんと向き合えば、タイの記事は求められていないってことがわかる。
この他者からの視点を知っておくことってとても大切と考えておりまして、なぜならたとえば自分を誰かに売り込む場合、他者から見た自分の方に、求められていることのヒントが眠っていると思うからです。
実際、僕が提供するサービスは、他者からの声を聞いた結果生まれたものなんですよね。
僕がそうなだけかもしれませんが、意識的に辻褄を合わせようとしたビジネスプランは、実現していないように思います(過去に、そういうプランをノートに書いたことがあったのです)。
だから自分を信じない方がいいというか、割とよく見てくれている人たち、あるいは初めて会った人たちの声を集めた方が、僕はうまくいくんじゃないかなって思う。
自分ほど自分を知らない人はいないというか。
そんなことを思った、今日のディズニーランドそばでした。
コメント
自分ネタ記事の人気はいかがなものなのでしょう。興味あります。他者からの評価も大事だと思いますが、前まで書いていたコメントと矛盾するかもですが、最後はやっぱり自分対自分のガチンコ勝負?!なところもあるのかなーと、というのは私見です。誰も信じない誰もやってないことをずっと信じて続けてやる研究ほど偉大な発見につながることはままあることですが、それと同じように誰も考えていないような自分を自分が発見したとき、あるいは自分だけが信じている自分で何かを達成できたとき、あらたな世界が見えてくるのかも?、しれません。たぶんこれ世界を自分-他者と二元論的に考えている西洋的な考え方からは出て来ない仏教的な思想に近いと思います。そこまでの仏教徒でもないのですけども。ちなみに。タイというと寝っころがってるでっかい仏像というイメージです….
自分ネタ記事の人気は、このブログに関してはセールスライティングネタの次に人気かもです。
つまり、タイネタより人気!
矛盾ウェルカムでして、なぜかというと、
一貫性の法則なにそれ?というのもまた、大切だったりすると考えているので。
他者からの評価を特に必要と考えるときって、
自分とは何かという迷宮に入ってしまう人がいるから、
かなぁ、と考えています。
あとはビジネスとか事業とかをつくる時の見方として。
両方、というかあらゆる見方や考え方を持っておく必要があると
僕は考えているかもしれませんー。
だから、自分対自分のガチンコ勝負もわかるところですし、
実際毎日ガチンコでやっていますー
いろんな見方を持っておいて、鍛えておきたいものです。