昨日、個人的に新しい気付きがあったので共有します。時間がない、は悩みではない、というものです。
セールスレターを書く際、ヘッドラインやその周辺、ヘッドライン含めてリードと呼ばれる場所や、ステップメールならばタイトルと出足には、ペルソナにとってのベネフィットや結果、解決策…エベン・ペーガンは「商品名」にこれらを含めたほうがいいと言っていますね…を記す。
「誰に何を約束するのか?」
この質問への答えが読み手の頭のなかに「おのおの」ホワッと浮かんでくるような言葉ですね、コレを書いたほうがいいと考えています。
開催した自分という器グループマネジメントクラスでは、昨日セールスレターのレビューを行いまして、はじめて一通り書いたセールスレターや途中まで書かれたセールスレター、よく書けてはいるのだけれども読み手は誰を抜かしてしまっているセールスレターなど、興味深く、時に楽しませてもらいながら僕自身も学ばせてもらいました。
そのセールスレターのヘッドラインで、眉間にしわを寄せて考え込んでしまったものがひとつありまして、それは時間管理に関するセールスレター。
時間管理といえば、ダン・ケネディも書いていますし、マイケル・マスターソンも著作のなかに時間管理術的な内容を含めています。アマゾンを見ても本屋さんを見ても割と人気のテーマだと僕は感じています。
だから、時間管理という言葉を見た瞬間に、「ああ、また時間管理ね」という風に読んでしまうわけですが、ここは主観の眼鏡の上に客観の眼鏡、ペルソナの眼鏡を掛けまして、あらためて読んでみることに。
「時間がない」という言葉がヘッドライン上に登場し、ヘッドラインでは数十億の資産と数億円の年収を持つ方が紹介する時間管理法、という言葉が目に入った時、なんか軽いな、と感じました。コレは主観ですので、皆が皆そうではないと思います。
軽いと感じた理由のひとつは、このヘッドラインに社長や起業家という言葉が入っていたから。社長や起業家の悩みって、僕はお金と人間関係に関するものだと体験しておりまして、時間ではない。
時間がない、というのは何かをしようとしたことに対してのできない理由であって、解決したい悩みではない、ということです。
「時間がないんです」
と言っている人は時間がないことを解決したいのではなくて、何かしたいことがあるのだけれどもそれをやる時間がないから、時間がない、といっている。
「家族との時間をつくりたいのに時間がない」というよく聞く「悩みのようなもの」がありますが、
コレは時間がないことが問題なのではなくて、家族と一緒にいないことが問題なのだから、一緒にいたい、が解決すべき課題になります。もっと踏み込むと、一緒にいたいの先にあるのは、信頼関係の構築、とかになるんじゃないかな。
だからこの場合、家族との時間をつくりたいのに時間がないあなたへ、ではじめるよりも、失われた家族との信頼を取り戻す方法、とかのほうが僕ならグッと来る。結果、ベネフィット、解決策が思い浮かぶからです。
こう考えると、解決すべきは「何かしたいことをやる」ことであり、時間をつくるではない。時間ができることと、何かしたいことをやるというのは必ずしも関連性がないからです。
今日お金をつくりださなければ明日の報酬を支払えない。どうすればいいのだろう?という解決すべき課題、悩み、不安があるのであって、コレを解決するのは顧客リストであり、営業であり、今日お金が振り込まれる行動をすることです。
悩みの意味を調べてみると、「精神的に苦痛・負担を感ずること。そう感じさせるもの。」と出てきます。解決したいことは、時間がないことではなく、お金をつくったり人間関係をどうにかしたり、なんだと思うんですよね。どうだろう。
商品やサービスはいいものかもしれないけれど、たぶん時間管理というコンセプトではなくて、他のコンセプトが正解なんだと感じました。
ヘッドラインと本文との間に生じる違和感というのは、コンセプトという1本の柱がどんと立っておらず、揺らいでいるようなものだと僕は考えています。
誰に何を約束するのか?
コレを考えて書き出すことだけに9割使っても十分ということはない。
ドレイトン・バードに学んでいることもありそうですね、あらためて、そんなことを思いました。
P.S.
時間管理的な商品やサービスのコンセプトを書き出す時、問いかける質問は、「なぜ、時間がないとペルソナはいっているのだろう?」「時間があると、ペルソナは何をすることができるのだろう?」「どんな悩みがあるから、ペルソナは時間がないと言っているのだろう?」などなどかなと思います。
P.P.S.
「時間がない」とは言わなくなるメンタルを鍛える合宿って需要あるのかな。
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