高松駅に8時ころ到着し、駅前にあったうどん屋さんで何回目かのうどんと天ぷらを頂き、その後は電車で高知へ。
高知と行っても高知市まではいかず、吉野川の源流辺りの高知ですから、暑いといえば暑いけれど南国という感じではない。昨年同様に、潤いのある街でした。
現在は電車に乗って岡山に向かっておりまして、たぶん瀬戸大橋を渡ったのかこれから渡るのか、そんな最中だと思います。
岡山に着いたあとは新幹線で新横浜、そして実家最寄りの橋本へ。
妻と長男次男を連れてバンコクに向かったのが21日でしたから、8日ぶりに神奈川に戻ることになります。
今日は高知でクレイジーパパの集いがありまして、ディスカッションのテーマは「くらし」。
これまでと異なり、掴みどころのないテーマだな・・・と舌鋒鋭くはなりませんでしたが・・・ディスカッションを聞いているうちに、また回答を求められるうちにこの1週間の出来事を思い出しつつ、「健康」というのはひとつのキーワードになるなぁ、と。
僕はたぶん好んで、移動しながらの仕事や生活をしているわけですが、子どもたちを妻が見守っているからこそ、こういう生活が成り立っている側面はあると考えておりまして、
妻という支柱があってのスタイルだと考えています。
仮に長男次男が僕と一緒の移動生活を望むのであれば、近場遠場を問わず連れていっているように、今ここに長男次男がいて瀬戸内海を見ているとしても不思議ではない。
しかし、僕としては残念ながら、どんなにお父さんが好きと子どもたちが言ったとしても、好きの度合いはお母さんが好きのほうが圧倒的。
圧倒的というよりも、存在の意味が違うんじゃないか、そんな風にも思います。
妻と長男次男のくらしが豊かで潤いのあるものであるため、そして長男次男にとって大切な妻のくらしをより穏やかなものにするため仕事をしている。
だから、家族のくらしには妻の存在は欠かせず、妻の健康をより良い状態にすることは僕にとってとても大切です。
先日の健康診断ではかつてに比べていい状態であることがわかりまして、しかしもしかしたら、3ヶ月後に血の塊のようなものを手術で除去するかもしれない、ということもまたわかりました。
備えあれば憂いなしとはよく言ったもので、これは未来預金のような意味合いもあり、未来予測的な意味合いもある。
しかし僕自身が母から育てられたと認識しているように、長男次男もたぶんそういうふうに思うんだろうなぁ。
自分が何を大切にしているのか、過去に目を向けてみると、それを子どもたちにも享受できるように動いている。
そんなことを、ディスカッション中に感じました。
明日は、神奈川から。
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