自分で自分を解釈しない。

セルフイメージ
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お楽しみ様です。小野貴正です。

言葉そのものの意味が変わることはない。言葉の意味を変えているのはそれぞれの解釈だ。

最近、こんなことを人に話しています。コーチングに参加するオーナーさんや、会う人々、何かしらのアドバイスを求められたとき。これ、誰かが言っていたんだっけな・・・ちょっと忘れてしまいました。

言葉の意味とは国語辞典とかで調べるとわかります。その意味が変わることってないですよね。個人が勝手に変えてしまうと、言葉が意味を成さなくなる。

しかし、その言葉から読み取る意味というのは人それぞれだったりします。たとえば、

「仕事がはやいよね」

と聞いたら、読んで字のごとく、スピードが速いとか要する時間が短いとか、はたまた手をつけるまでが早いとか、そういう意味は誰もが想像します。

しかし、この言葉を言われた人がもし「実は手を抜いていたんだよね」のような状況だったとしたら、

「仕事がはやいってことはつまり・・・仕事が粗いって見過ごされたのかも・・・」

と考えたり。これ、身に覚えがないですか?

言葉の裏側に何かあるんだろうかと、勝手に、解釈しているわけですね。

こういう相手の脳を見透かす感覚とかって大事な時もありますが、人によっては悲観的になりすぎるというか、そういうキライもあるんじゃないかな、と。

逆に根拠なくセルフイメージだけを高め続けるのも、それはそれで違うと思いますが・・・。個人的に思うのは、他者がどう思っているかについては聞けばいいんじゃないかな、ということ。

僕は難聴で、かつては「もう一度言ってください」というのが恥ずかしくて聞けなかった。しかし聞かないとコミュニケーションを取ることができない。勝手に解釈したら、変な方向に話が行く場合だってある。「小野は人の話を聞かないやつだ」ってラベリングされる場合だってある。

だから自分でかってに解釈しない。相手に話を聞く。コミュニケーションする。これって大事だよな、と思うわけです。

相手がいる場合ならまだ「聞けばいいですよね」となりますが、厄介なのは自分で自分を解釈してしまう場合。ほかの人と比べて仕事が遅かったり、成果を出すことができなかったりしているときに、どう自分を解釈するか。

しかし、そもそも人と比べる必要があるんだろうか?って僕は思う。人は誰もが生まれた環境も育った環境も、生活している環境も違うわけですから、比べても仕方がないんじゃないかって思ったり。

もちろん、相対的な評価を求める場なら、比べることも必要ですが。

自分で自分を勝手に解釈している人っていると思います。「オレはダメな奴なんだ・・・」とか。しかし、評価するなら、やったことで評価すればいいんじゃないかな、と思う。僕が毎日日誌を書いて翌日の在るべき状況一覧を書くのは、客観的な評価基準とするためでもあるわけで。

自分で自分を評価する必要って僕はないんじゃないかな、と。あえて評価するならば主観的ではなく客観的に。

つまり、自分を一番大事にするってこと。

この話、結構ハッとする人っていると思うので、また書いてみますね。

P.S.
写真は神の子池。パワースポットらしいです。確かに水の音と木の音があふれる環境を、人は好みやすのかな、と。

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コメント

  1. おっさん より:

    ハイ、キチンと、グサリきまた(苦笑)有難うございます^^

    • ono takamasa より:

      ありがとうございます〜

      あれ、特に意図はなかったんですけどね、、、

      解釈せず、わからぬがよろしい、ですよ〜

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