環境が人を分類する。

ビート・ザ・コントロール
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お楽しみ様です。小野貴正です。

神職養成講座も半分を終え、朝2:30とか3:00に起きる生活にも慣れてきました。目下時間が足りないことが課題でして、もうちょっと仕事時間を増やせないかな、と思っているのですが、

1時間の休み時間を使っても15分の休憩時間を使っても足りないならば、いっそ整理することも大事なんじゃないかな、と思ったり。

昔なら徹夜してもそのままスポーツができたものですが、祭式の授業で作法をやっている時、体力がもはやそうあるわけではないことを体感。これはこれで、楽しいものです。ああ、オレはいい歳になったんだな、と。

とはいえこのままの身体だと動きにくいので、モッチリーニにトレーナーの方を紹介してもらう予定。デトックスします。運動会で息子たちよりも活躍して羨望の眼差しを集める父でありたい、という欲求もあるので。

さて、環境が人を分類する。

難聴の受講生がいるということを先日のブログで書いたと思いますが

お互いに難聴同士なのでコミュニケーションが成立しやすいのです。

例えば、映画の話題になったとします。この映画がオススメだぜと言い、タイトルを教えてあげます。

すると聞いてくるわけです。なんと聞いてくるかというと

「どんなストーリー?」

ではありません。もちろん

「主役は誰?」

でもありません。

そして「主題歌は誰が?」でもありません。

難聴者がこの場合に聞いてくること。それは

「それは邦画?」

こう聞いてくることが多いのでは、と想像しています。コレは少なくとも、僕だけではないみたいですが・・・。

映画館のような大音量で音が出てくる会場の場合でも、難聴の方にとっては(僕のような複合難聴や感音性難聴ならたぶん)聴き取れないものは聴き取れない。しかも、「聴き取らなきゃ!」と身構えるほどに、僕の場合は耳鳴りが「キーン」と鳴り響き、ますます聴き取りにくくなる。だから、映画を観るときは洋画という選択、それも字幕が出ているものに限定しているのです。

実はタイでも妻や長男と一緒に映画を観るのですが、この場合は家族サービスということもあるし、タイの映画館はリクライニングが豊かでウトウトするにもいい。しかも日本に比べて安価に楽しめますから、タイ語や英語が聴き取れなくても構わないとい感じなのです。要は、映画館の使い方が違うっことで。

実際、つい先日このやり取りをしました。僕が「邦画?」って聴いた瞬間にニヤッと笑って、やっぱりそうくるよね、と。

難聴だと、映画の選び方も似てくるものです。

まさに、環境が人を分類する。

そういう意味では自分がよく付き合う人5人の平均年収が自分の年収という話も、一層信ぴょう性がありそうです。

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