妻は言った。一人でいるとおかしくなる。

ひとりごと
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今日日本に戻るよと伝えると、早すぎ、と妻に言われました。

え、だって、父の日のイベントがあるから帰ってきたのであって、8日と9日は日本で用事があるんだよ、と言っておいたのに。。。

今朝は長男次男を原付バイクで学校まで送ったあと、妻が通っているネイルスクールまで付き合うことになりました。

歩いて朝食にカオソイを食べ、サラデーン駅まで歩いてそこからBTS。

電車に乗るまでの間、ネイルスクールのことを話しつつ、「日本では子育てが終わると、女性は何かを学んだり、仕事をはじめたりするの?」と聞かれたので、、、

そう言えば日本の子育て後事情、よく知らないなとなりまして、妻には、たぶんそうかも、程度に答えておきました。

すると妻が、長男と次男が学校に行くと、私一人で家にいるでしょ、で、いろいろ考えちゃって。でも今はネイルスクールに行っているから、話し相手がいる。

お寺にも行って瞑想できるから、サバイサバイなの。

ご機嫌でいいじゃない、と伝えると、「一人でいるとおかしくなるからね」と悟ったようなふうに話していました。

コレ確かにそうだな、と思います。話し相手、同じ方向を向いている人だとこの場合解釈しているのですが、ネイルスクールにいくと、何らかの動機があって、お店を持とうとする人がいるわけです。

だから妻もお店を持つならばどういう手順でどうすべきなのか、スクールの受講生や先生と話をすることができる。

結果、お店を持つ前にネイルサロンで働いたほうがいい、という結論を今のところ出しておりまして、なぜならば、経営上どの程度の経費が必要なのか、どんな事が起こりうるのかを知っておいたほうが安心でしょ、という理由からです。

僕がかつて一度スタッフとして働いたほうがいいよ、と言ったのに、そんなことは覚えていません。つくづく、自分の聞きたいことしか人は聞かないものです。

一人で考えても、こんな結論は出せなかったでしょうから、学びの場というのは大切だな、とあらためて思いました。

一人で考えるには条件があって、1つは材料を集めている状態。妻のネイルアートで言えば、スタッフとして働いてみて体感した情報などがその材料になります。

そしてもう1つ、今ふと思い浮かんだのが、瞑想する場合。思考と思考の間に入り、無になる状態。コレは一人でなければできません。同じ空間に他の人がいても、大丈夫ですが。

材料もない、瞑想でもないのに一人で考えるというのは、僕は難しいんじゃないかと考えています。

それは考えているのではなくて、悩んでいる、悩みたいだけなのだろうと思っちゃうんですけどね。

材料もないということは判断する基準も客観的に持てないので、思い込みの世界に入り込んでしまいそうです。

妻が一人だとおかしくなる、と言ったのは、あることないこと悩んでしまって意固地になる身内を見ているからかもしれません。

どうもその身内は、お寺に入り、考えてしまっているようなのです。瞑想ではなく。

悩みがあるのであれば、どちらかというと考えるよりも、身体性を伴う動きをしたほうが、よほどいい。

そんなことを妻と話していて思いました。

一人で考えるよりも、動く。

そして集まった材料を机の上に並べて、考える。

僕自身、心がけておきたい順番です。

コメント

  1. より:

    奥様のお話かと思いきや、少し哲学的なお話に発展したのでつい反応してしまいまして失礼します。毎度どうも。

    「一人で考える」ということはどういうことかを「一人で考えて」いる状態。これ前にコメントしたかもしれませんが「メタ認知」と言います。

    #「一人で考える」ということはどういうことかを「一人で考えて」いる小野くんについて今わたしはこうして「一人で考えて」いるわけで、そんなわたしはもしかしたら「メタメタ認知」状態なのかもしれません…

    さて。
    今回の場合は(小野くん流に解釈すると)奥様のこと、自分の過去の経験などを材料として(心の)机に並べてみて「一人で考える」ことに成功した、と言えるのかもしれませんね。

    一ブログ読者からすると「考える」と「悩む」の違いが曖昧に聞こえます(なんとなく言いたいことは過去ブログの文脈から読み取れるのですが)。研究にも通じるものがあるのですが、何が「問題」かをある程度定義できて、その解決に向けての「方法」がいくつか見つかったら「一人で考えること」は結構できそうな気がします。「悩む」という場合は、1.「問題」が何であるかよくわからない状態、あるいは2.「問題」に対する解決「方法」が見つかっていない場合、あるいは3.「方法」は見つかっているのだけれど現実的に実行不可能な場合、に使えそうな言葉であるような気がします(私見です)。

    # でも研究の一番面白い部分は実は「まだ誰も知らない問題を発見するところ」なんです(私見です)。だから、あーだこーだと「悩んでいる」時が一番楽しかったりします…

    いつか何かのご参考までに。

    • takamasa ono より:

      ありがとうございます。

      実は、、、確かに定義が曖昧だよな、
      とコメント読んで思ったのです。

      指摘は助かりますし、学びになります。

      コミュニケーションに生きるものとして
      一層言葉を精確に使いたいと思います。

      ありがとうございます!

  2. 某氏の人 より:

    意外なところでなかなか興味深い話でした!

    「お寺に籠もって悩む」って、日本でもタイでも形は違えど人間の行動が同じってところがまた面白いですね。

    帝王学2回目くらいに話があった「精神的限界は自分では越えられない」ということにも繋がるのでしょうか。
    自分でどんなに悩んでも水槽から抜け出すことができない。”他人(外部)の力”があって初めて水槽から抜け出せる。(今回の話では働いて得た情報やプロの意見)
    そう考えると師匠をつける事って大事だなー、

    とか一人で考えてました。

    • takamasa ono より:

      某氏の人さん、ありがとうございます!

      妻は素直な女性でして、
      一緒にいる人次第でジェダイにもシスにもなる感じです。

      ですので、僧侶という師匠の存在は、
      とても大切だと感じています。

      しかしたくさんの僧侶がいる中で、
      いい僧侶に出会えるかどうかは
      なんともいえないので、、、

      そういう意味では行く先々で
      お寺にタムブンする、

      というのは一つの解だな、と思いました。

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