決めつけない。

ビート・ザ・コントロール
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タイに帰ってくると毎回のようにフルーツを食べようと思うのですが、身近にありすぎるのかどうかわからないけれど結局食べることなく日本に戻ってきた、なんてことがほとんどです。

妻に言わせるとフルーツは皮をむいたりすることが大変で・・・とはいうけれど、グァバやスイカ、パイナップルならば果物屋台で皮をむいて一口大になったものがありますし、数十円で一人前の量を買うことができますから、食べることに手間がかかるから、というのはとってつけた言い訳のように思えます。

妻と話したことがあるのですが、多分それほどフルーツを好んでいないからじゃないかな・・・僕のなかでフルーツというのは、ある意味あこがれの対象というか、映画の世界のようなところがありまして、

だからりんごとかなしとか、日本でよく食べられるようなフルーツには情熱がわかず、映画の中で食べられているような西洋なしとかオレンジとかぶどうとか、そういうものの方に情熱はある、けれど別に食べたいわけじゃない。

しかしタイにおいては水分補給代わりのフルーツはなかなか美味しかったりします。土地柄かな、気候とか。

なんでも決めつけるのは良くないなぁ、とぼくは思うわけですが、決めつけるといえば、僕はタイ航空のサービスはそれほど良くない、自分には合わない、と感じておりました。

しかし昨日のフライトでそれは払拭され、単に決めつけていただけじゃねーかと一人反省。

難聴であることを伝えておいたら、フライトアテンダントさんが本日のフライト情報と食事のタイミング、食事の種類について書かれた紙を持ってきてくださり、

フライト中もお願いしておいた通り食事を見せてくださり、身振り手振りで飲み物の注文もとってくださいました。

飛行機到着後は地上係員まで僕の名前を掲げて待っていてくださり、荷物が到着するベルトコンベアーみたいな場所の番号まで教えてくれまして、

つくづく、マイナスイメージの思い込みというものは誤解にすぎないことがわかります。

ANAで経験したような、先回りしたサービスこそないけれども、淡々とではあっても音に関する不安がない状況というのは落ち着きますし、肩の力が抜けて気持ちが緩やかになるもの。

時と場合によるのでしょうが、我慢は必要ない、礼節とともにあれば、と感じた今回のフライトでした。

通路側の席が全て塞がっており、今回久々の深夜便窓側でしたが、羽田空港を飛び立ったあとの東京湾かな、眼下に見下ろすネオンと海岸の境目がとても美しく、

利便性を考えての通路側選択もいいけれど、窓側で景色を眺めることもまたいいように思えます。

明日から3月。

価値を提供し続けるための準備をしつつ、これまで求められていたことはそのままに、また新しい何かを付け加えた価値を提供していければ。

今日はこのへんで。

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