今晩から上海へと移動するので、いや、上海行きとは関係ないのですが3キロほど走ってきました。
ランニングマシーンというのかどうかはわかりませんが、あのマシーンの上で走る姿勢が心なしか変化したような感じでして、普段よりも速い速度で走ることができる感覚です。
ビモロのシューズを履いて以来、意識的にそうさせているのかどうなのかはわかりませんが、つま先の外側の方からグリップするような感覚で歩いたり走ったりするようになっています。お尻のあたりの筋肉に力がグッと入りやすくなり、なんでか足の出が速くなるんですよね。上半身を揺らさずにスーッと走ることができるというか。
そんなタイミングでメールを見てみると、木坂さんからパフォーマンスセミナー関係のメルマガが届いておりまして、アンケート、のようなものに回答。
木坂さんと言えばテニスラケットをふる動作が思い出されまして、あのケツの動き、力強さは他に類を見ません。
パフォーマンスセミナーの実技編と応用編に関するアンケートだったのですが、備考欄にはあのケツの動きが目標ですと書きまして、実際あれは象徴的だったんですよね。
全身の機能を活かす動きをしないと、あの力強さは出ない。
あれみたら、本当にラグビーで全国復帰だったかな、そんなこともできそうだと思ったものです。
ちなみに治療家でありファンクショナルトレーナーでもある鈴木さんに「僕でもメジャーいけますかね?」と聞いたところ、「できるんじゃないですかね」と。
その理由というのがうなずくばかりで、なぜなら「今の自分が、最もパフォーマンスがいいから」とのこと。
普通に考えると20代でピークを迎えると考えられていますが、40代近くなって最高のパフォーマンスだと。
確かに、動きが変わりますし、僕の場合は姿勢が変わりました。
不思議なもので、コピーを書くときの速度、この場合はタイピングの速度も含めてですが、速くなった感覚があります。
その人本来の姿勢には、その人にとって最高のパフォーマンスが発揮される。
そしてこれは、セールスライティングでも同じです。
基礎というか、セオリーというか、そういうものはやはり存在するのだと思いまして、例えば普段から指示代名詞を多用するクセがある人は、セールスコピーでも指示代名詞ばかりになりますし(これとかそれとかが多いと、それら指示代名詞が何を指すのかがわからず、丁寧なコピーとは言えません)、形容表現を多用する人は、セールスコピーでも形容表現ばかりになります(スゴイとかキレイとか、読者によって基準値が異なる言葉は、読者の解釈次第ではプラスに働きません)。
学校で習うような文法ほどキッチリやりましょうとは言わないけれど、それでも、主語には述語が必要で、述語には主語が必要というように、省略することなく名詞と動詞で書く、ということはやっておきたい。
目の前の人に考えを伝える、伝えることができる基礎的な文章構成があってこそ、セールスにつながることがほとんどでしょうから(例外はあるかと思います)。
身体もコピーも、基礎とかセオリーを磨いていきたいですね。
P.S.
コレも不思議なのですが・・・鈴木さんに身体を診てもらってファンクショナルトレーニングをしている効果か、硬いタイルの上で寝ても腰を痛めなくなりました。
妻と長男次男がベッドを使うので、僕はソファーにいつも寝ていたのですが、寝返りが打てず、肩に負担が集中している感じだったんですよね。
だからフロアのタイルで大の字になって寝てみたところ、今日で3日目でしたが、痛くない。それどころか、よく眠れます。
鈴木さんのセミナーは、治療家の方にはもちろん、ライティングをやっているとか治療家ではない方にも、参加してほしいなぁと思います。
もちろん、木坂さんの講座もですね。どちらも、ある意味ハードル高いですが。
コメント
毎度どうも。海外生活が長いもので。ご参考までに。日本語でセオリーと言うと「定跡(定石)」「常套手段」的意味で使われることが多いかと思いますが、英語で言うところの「theory」は「理論」的意味で使われ、若干意味合いが異なるように思います。自然科学分野では、こうなんじゃないかなーという論理(logic)を仮説(hypothesis)として立てて、実験などで確かめて、それら論理(や証拠)がある程度集まって体系化できたところで「〇〇論」と呼ばれるようになり、それが英語で言うところの「theory(理論)」になるのだとざっくり理解しているところです。つまるところ、理論(theory)は論理(logic)のかたまりなわけですので、数学が用いられることが多いわけです。
で。
基礎大事ですよね。野球でもバスケでも空手でも基礎練習しないで強くなる人はまあいないでしょうし。研究でも基礎理論を理解しないでソフトウェアの使い方だけ一生懸命勉強していたりすると後で必ずつまずきます。応用を考える場合も基礎の上に何が追加されているのか、とかあるいは基礎からのどうずれているかを見たり考えたりしますよね。
で。
基礎がある程度できる(わかる)ようになったらその次に考えるのは応用(実践)、も良いですが、メタレベル的視点からこの質問はいかがでしょうか。
基礎の基礎は何か。
とある分野の基礎が何かは調べたりその分野の達人に聞いたり教えてもらったりして理解することは可能だと思われますが、そもそもその基礎がどういう考え、哲学の上に基礎だと位置付けられているか、というのは案外忘れられがちではないでしょうか。なぜなら「基礎」だからです。ある種それが当たり前のように受け入れられていてどうしてそれが「基礎」となったのか、なっているのか、という疑問を持たなくなるからかもしれません。
例えば。
空手で「回し蹴り」は基本技(基礎)だと教えられますが、だいたいの伝統空手では足を大きく横に上げるような感じで回して相手部分につま先や足首あたりの部分を当てるのですが、テコンドーや最近のスポーツ空手と言われるところだと前蹴りに近い形で膝をあげて、足を伸ばすと同時くらいに腰をひねるように回し蹴りを打ち込むように教えていたりします。これは伝統空手が一撃必殺や迎撃を「基礎」として体系化されてきたのに対して、テコンドーなどのスポーツ化されている競技では、できるだけ速く当てることを「基礎」として体系化されているからだと思われます。この例で言うところの「基本技の基礎」はその根底に流れている立ち位置のようなものに相当していて、どちらが良い悪いとはコンテキスト抜きには一概に語れないものになっているかと思います。
このようなメタ的な視点がもてるかどうかは、おそらくですが、日頃から自分自身や自分の行動を省みたりしているかどうか、や、小野くんが普段から言われているところの「常になぜと問い続ける視点を持つことができるかどうか」という点につながっているのではないかと思うところです。長々失礼しました。いつか何かのご参考までに。
いつも消化しやすいとはいえない書き込みをありがとうございますー
インスタントな情報ややり方が増えるなかで、基礎の基礎など、
そういうところに踏み込むことって大切だと考えておりますし、
それがいわゆる「地力」になるのかなぁ、とも思います。
セオリーの定義も、ありがとうございます!
こういうのは、エラい助かりますし、歓迎です。