子どもは親の経験を見て育つ。

タイ
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僕が叱るようになると次男は離れていくわけなんですが、ここ2回のバンコク帰宅期間においては決まって「お父さんと一緒に寝る」とか妻に言ってくれるらしく、喜び勇んで次男と一緒に眠ることが日課になっています(といっても、2日か3日程度だと思いますが…)。

次男が眠ったあとは起き上がって次男の使った哺乳瓶(4歳なんですけど、哺乳瓶で牛乳を飲むのが好きなんです…)を片付けて、そして仕事を再開するというのがバンコクでのスタイル。

普段は子育てとか子どもとの接し方を考えたことはないのですが、たまたま今日は電気の消えた寝室で次男が眠るのを感じながら、子どもへのアドバイスについて考えてみました。

僕なら、ということで私見にはなるんですけれど、僕にできないことを子どもたちにやりなさいとは言えないだろうな、とまず思ったんですね。

例えば長男も次男も歯磨きをしないわけですが、あ、ここでは歯磨きを子どものときにした方がいいかどうかと言うのはさておき、少なくとも歯についているチョコレート程度はキレイにした方がいいだろうと思ったりします。

仮に僕が歯磨きしなさいと言っても僕が歯磨きをしないタイプであれば、長男次男も言うことを聞かないだろうなぁ、と。しかし僕がしているのを彼らは見ているから、ヤレヤレと思いながらもやる。

長男も次男もiPhoneでゲームをすることが好きですが、あれは僕に言わせたら妻の影響でして、妻がiPhoneを寝るときもごはんのときも観ているから、長男次男は真似をする。

この場合、いくら僕が寝るときもごはんのときもiPhoneを観ないようにしたって、「お母さんが観ているから」と長男も次男も思う。

だから、親ができないことを自分の子どもたちにやりなさいというのは、ソレは親心かもしれないけれど、子どもたちにしてみれば「え、なんで?」となるよなぁ…。

親の背中をみて子どもは育つ。

よく聞く言葉ではありますが、子どもたちを見ているとそのとおりだろうなと感じることはしばしば。似てきますからね、長男も次男も妻と僕に。

僕の子どもたちにとって最良の教育とは何かを考える時、たぶんソレはいわゆるいい学校に行くとかいい環境で育てるとか、そういうことばかりではなくて、

親である僕と妻自身が、いい人生を歩んでいることなんじゃないかって思うわけです。

子どもの教育に熱心なのはいいけれど、その前に自分自身に教育の機会を提供しないとね。

結局のところ「子どもにとって良い教育」とは、「親の経験内での良い教育」なのですから。

新しい体験を増やし、経験を広げていくほどに、もしくは深めていくほどに、子どももそういうふうになると信じて。

しかしタバタプロトコルをやっていたら、次男が覚えていて真似しだしたのには笑いました。

今日は長男の学校で文化祭っぽいことをやるらしいので、次男も連れて行ってきます。妻が幼稚園休ませると張り切っていたので。この気楽さが、妻と一緒にいていいなぁ、と思う理由の一つです。

P.S.
写真は、台北で購入し、お土産として持ってきたサニーヒルズのパイナップルケーキ。詳しい人に言わせると、南青山のサニーヒルズとは味が違うとか。パッケージが、いいんですよね。長男も妻も美味しいと言ってくれて、よかったです(次男はパイナップルの餡を舐めたらスッパイという感じでした…)。

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