言葉遣い。

コア・バリュー
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グレートジャーニーの告知がはじまりまして、周囲では何らかのサービスが動きはじめる気配のする時期になりました。秋ですね。

僕は秋の味覚にはそれほど前のめりにはならないと自分では感じていたのですが、虎ノ門のお店でこの1年間に鰻に鮎、鮑や蟹、鴨、熊などなどを体験させてもらった結果、季節ごとの食材をいただくことが楽しみになってきました。

自然の恵みをいただくとはよく聞く言葉ですが、その季節の旬を扱うお店に行き、体験したことで、この言葉の意味がわかってきたような感があります。

しかし、知らない世界はまだまだ。世界は、広いですね。

知らない世界を見に行こうとする場合、その世界が自分にとってフィットするかどうかわからないこともあるのか、人によってはへりくだってしまい、卑下した言葉遣いを目にします。一応、私見としての言葉です。

「僕なんて」「わたしなんか」
「ヘタすぎて皆さんの足を引っ張ってしまいますが」
「ほんとにダメダメで」

一方で、自分の狭い世界のなかで満足してしまっている方々からは、驕った言葉遣いを目にします。

「それ、意味ないから」
「ムダだった」
「そんなことも知らないの?」

言葉の意味はその状況で変わるものであると考えていますので、これらの言葉をもって一概にへりくだっている、驕っているとは言えませんが、言葉の意味を解釈するのは大きく2つの方々でして、1つは自分、もう1つは自分以外だと考えています。

自分自身がどういう意味でその言葉を使っているのかはさておき、その言葉を見たり聞いたりした人が解釈したように、発言者は見られるものです。

彼はへりくだっているな、とある言葉から感じられたら、その人物もへりくだっているように見られますし、驕っているなとみられたら、そういうふうに聞き取られてしまう。

そしてそれは実際に、そういう人をつくっていくと僕は感じています。へりくだっている人。驕っている人。コア・バリューやセルフイメージにも影響を与えそうです。

ちなみに、著書やセミナーでは、エラいキツくて上から目線の言葉遣いな人がいるなぁ、と思ったら、実際に会ってみるとそうでないこともあるように、というよりも実際には、エラい言葉遣いが配慮に溢れたものであることもあります。

よそ行きの言葉ではなく、普段の言葉遣いにその人の人格がにじみ出るというか、そういうことなのかもしれません。そうはいっても、言葉は人を引き寄せますから、意識せずに上から目線の言葉を使わないほうがいいとは思いますけれど。使いどころは意識して。

ある時期は言葉遣いがよかったのに、ちょっと会わなくなってみると言葉遣いがよろしくなく、一緒にいて窮屈な感じを覚えることが、たまにあります。

そういう場合は一緒にいる相手がそういう言葉づかいをする人、ということなのかもしれません。

生き方は言葉遣いに現れると僕は考えていますが、自分がどういう生き方をするのか。

それによっては言葉遣い、そして一緒にいる人を選んだほうがいい。

特に意識すべきは一緒にいる人。

彼らは意識的に選ぶことができますが、言葉は無意識に変わりますから。

一応、私見ということで。

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