悶絶しています。ある説明会への集客プロモーションを行っているのですが、集客人数がピタッと止まっています。
東京開催まであと1週間あるので、説明会参加人数を上乗せするために、明日は大阪説明会に参加して、参加者の雰囲気を観察しにいくことになりました。リサーチです。
Facebook広告をいじってもオファーを変えられない状況では、コピーをあーかなこーかなと触っても、面白いぐらいに結果が出ません。言葉遊びになりますからね。
訴求を変える方法もありますが、そもそも訴求というのは、そのサービスが誰に何を約束するのかが定まっていないと、目を引くことはできてもレジを鳴らすところまでは繋がりません。
だから、訴求は誰に何を約束するのかが定まってこその切り口になるという理解です。
そこで、今回のサービスのセールスレターを読んで来てくれた人たちがどんな人たちなのかを知ろう、空気感を感じて、どんな見た目なのかを拝見してこよう、と考えました。
つくづく、コピーライティングを担う人というのは(僕ですね)、言葉でなんとかしよう、ペンは剣よりも強し(ちょっと例えが違いますね)、オレのコピーは最強だ、となりがちですが(僕です、、、)、読み手というのは確かなもので、自分に向けられたメッセージなのかどうか、そしてサービスに違和感がないかを感じ取ります。
おそらくは、無意識のうちに。
だからこそ彼ら彼女たちの雰囲気、そして無意識を知らなければレジを鳴らすコピーは出たとこ勝負というのが持論です。
まあ、、、でたとこ勝負でもレジを鳴らせればうれしい気持ちもあるのですが。
ただ・・・Facebook広告を眺めて類似広告のスクリーンショットをとってフォルダにしまっていくと、まあ同じメッセージでよくもこんなに同業他社が広告出しているな、と気づきます。
ジョン・カールトンがいうところの、「やすい・よい・はやい」です。まあ彼は、この内の2つしか両立しないといっていて「やすくてよければ、はやくない」「よくてはやければ、やすくない」は名言だと感じているのですが。
しかし今やパッと見の一瞬が勝負になってきますから、言ったもの勝ちといわんばかりに「やすくてよくてはやいんですよ」と言っています。
まあ、、、気持ちはわかる。。。けれど、、、僕は読み手の無意識というものは、とても優れていると思っているんですよね。。。
よしんば最初のサービスが売れたとしても、利益になるサービスが売れなければ意味をなしません。リピートサービスが売れないと、コレもまた意味をなしません。
だから、同じサービスを売っているんだけれども、メッセージは変える必要があると僕は考えています。
バスに乗せるべき人に広告をクリックしてセールスレターを読んでもらわないと、継続的な関係性は築きづらいだろうと思うからです。
じゃあ、どんなメッセージを僕たちは引き出しから取り出す必要があるのか。
ペルソナが望んでいることと、サービス提供側がなぜそのサービスを提供しているのか。誰に何を約束するのかとWHY。
コレを知るには、リサーチ。
材料が手に入らないなら、肌感覚を得にその場に行く。
行動と言葉が、その人の経験に紐付けられているかを感じるって、大切だと思います。
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