昨日はグレートジャーニーの初回、オープニングセレモニーを開催。
オープニングセレモニーの前日にはVIPコースのプライベートセッションがありまして、2日続けてのグレートジャーニーイベントとなったわけですが、参加動機を聞いていると結構な驚きがあったり。
「左手に小野さん、右手に島田さんて贅沢ですよね」
みたいな話を聞いた時は、めずらしく聴き取れたわけですが、え、そんな感じで捉えられているんですか、と思ったし、
License to beatから参加するメンバーの話を聞いたら、
「かつては会社で相談したくなくとも相談せざるを得なかった存在だったのに、今ではお金を払わなければ相談できないなんてうんぬん」
なんて言っていましたし(これはたぶんです)、なんというか、自分のことって自分ではわからないものだな、とあらためて思ったわけです。
僕自身は意識していないどころか、そういう風に感じてもいなかったけれども、人は行動と結果でそういうふうに感じ取っているというかそんなことを感じた次第。
以前、小坂さんともそういう話をしたことがありましたが、講座などに参加する人たちよりも、主催する側のほうが学びがあるというか、そんなことを思い出しました。
何らかの価値を感じてグレートジャーニーにも他のプログラムにも参加するわけですから、そういう話を聞いていると、僕自身も対価はちゃんと区別しなければならない、と思ったり。
島田さんが、クレイジーパパもグレートジャーニーもコンセプトが違うので、と言ったのですが、これ、そうだよな、必要だよな、僕も思ったんですよね。
License to beatに参加し、かつグレートジャーニーに参加する人もいる。
両方のプログラムで僕が同じことを喋っていたり、同じような対応をしていたら、「片方に参加すればいいんじゃないか」って思うわけで。
僕個人としては、そんなこともありますよねとゆるく構えていたとしても、両方参加する人たちの側から見たら、どうだろう?
最近はこんなことをよく考えています。求める価値に応えることができているのだろうか。
これはLicense to beatをはじめたときからそうしているのだけれども、チャットワークとかで個別返信するのは、基本的にマンツーマンでやっているタレント化プログラムかビーコンコーチングだけ。
そういうふうにしているのも、参加するメンバーの求めるそれぞれの価値に応えるため。
実際自分がプロモーションする立場ならば、グループセッションを行っているタレントさんには「個別対応しないほうがいいですよ」と言うでしょうし、良かれと思ってタレントさんもやっているのなら、そういう気持ちを慮ったら言いづらいこともあるけれど。
コミュニティやプロジェクトを公正に運営していくというのは、それらに応じた線引き、距離感は大切なことなんだと思います。
今回、島田さんのクレイジーパパ、プライベートセッションがあるエグゼクティブコースに参加して、何が驚いたかって(想像はしていましたが)、島田さんの提供するものがガラッと違う、ということでした。
2015年から、特に2016年は木坂さんのマスタークラスにも参加していたこともあって、時折プロモーションのやり方とかそういうアドバイスを耳にしたことはあったけれど、
今取り組んでいるグランドデザインなんかは、これこそ見込み客の脳に飛び込んで行うコンサルティングだよね、というもの。
プロジェクトのスタートと似ているのですが、例えば僕が稼げるならば売るものはなんでもかまわないタイプなのか、稼げるとわかっていても情熱をもてるものでなければやらないタイプなのか、そういうものを雑談や質問から確認した上で、こういう風にした方がいいですよね、と提案してくれます。
島田さんが開催するランチミーティングとかワイルドサイド部に参加したことがあるなら、引き出しがエラい豊富なことに気付くでしょうし、相談すれば何らかのアドバイスっぽいことをしてくれるから、実際これが効果的だったりするのだけれども、だったら今の関係性をキープできればいいんじゃないか、って思ってしまうんじゃないかと思う、そういえば。
でも、やっぱり想像通りなのだけれども、その人のステージとか、どこまで踏み込んでくるかで島田さんの対応は変化しているんですよね。
ああこれは配慮だよな、って思います。例えばですが、200万円とか300万円の着手金と売上に対するロイヤリティを投資してでも顧問になって欲しい、という人への配慮。
だから主催する側は、複数のプログラムをやるなら明確にコンセプトをわけているかどうか。
参加する側は、そのコンセプトを良しとしているかどうか。そのコンセプト以外を期待していないかどうか。
これが大切なんだと思います。
ビーコンが主催する講座とかプログラムは、参加する人が何らかのかたちで成長することを約束するものなので、長期的にその人が変化するかどうか、に焦点を当てることが大切。
僕もこの程度ならいいだろうとついついサービスしてしまうことがあるけれど、そういう風に甘えてばかりもいられない自分を感じつつ、求める価値に対して公正でなければ。
そんなことを、考えました。
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