現在、博多を九州新幹線さくら549号で熊本へ向かっています。行きは勢い込んで、「これは始点から終点までグリーン席で行っちゃうよ〜」と心のなかでつぶやき、品川じゃなくて東京に新宿から行き、博多まで。じゃあ熊本もグリーンかというとそれは違うのですということで自由席です。
両極テーマな僕からすると、極端な在り方を経験しておこうと考える次第。飛行機もホテルも、食事も、です。
さて、両極ついでにひとつ気づいたことを。ビーコンコーチングの対面セッションにおいて奇しくも2人から似たようなテーマを聞いたので。
それは、まず先に与えよ、ってどうなんですかね、って話です。よく聞きますよね、あなたが欲しいと思うことをまずは相手にしてあげなさいと。するとあなたにもそれが手に入りますよ、と。
おっと、次の駅は新鳥栖。初めての地名が登場して興奮中。まあ、さくらに座っている坊主がそんなこと考えているなんて、誰も思わないとニヤニヤしているだけなんですが。
元に戻すと、寄付にしてもまず与えよというのはわかる気もする。しかし、それをやる一歩が踏み出せない。いろいろ考えてしまう。それって本当に利他の心なのかなって。100%利他の心でやらないとならないのでは、と。しかし100%利他なんて、そんなことができるのでしょうか、こんな感じ。
これ、いい気づきだなぁ、と思いました。人の在り方をよく表現していると思います。
これは「7つの鍵」ライティングセミナーで木坂さんが話していたことなのですが、人は常にどちらかの状態でいるわけではない、ということがそのひとつの解になるのかな、と。
割と人は白黒はっきりさせたいとか、どちらかでなければ潔くないとか、スッキリしないとか思いがちだと僕は考えているのですが、どちらかに偏った状態ともそれは言えるわけで、それはそれで怖いと思います。
誰かのためにという気持ちで何かを差し出したり寄付したりする時、多かれ少なかれ「自分のため」という利己的な感情も湧いてくるものでしょう。
自分とは何かとか存在意義とかって結局のところ、自分以外の誰かがあってこそのテーマなんだと思います。
世界に自分一人しか存在しなかったら、利己性も利他性もない。僕らは関係性の中に生きているわけですから、認められたいという利己性もあるし、助けてあげたいという利他性だってある。
両極を常に持っているわけです。男性性と女性性にしてもそう。ロマンとベネフィットにしてもそう。
対面セッションでこの話をすると、ああ、こういう答えのない答えをみなさん求めていたんだな、と思うほど、セッション終了後は憑き物がとれた雰囲気になります。
これも考え方なんですよね。うまくいくにはやり方、方程式のようなものってありますよ、と。もちろん、答えはひとつなんてつまらないものじゃないですが。
License to beat という今年のテーマでやりたいことは、そういうことです。
現在セミナー参加者を募っている最中ですが、新たに参加したい方が出てきた場合は別日程を提案しようと考えるほど、ビート・ザ・コントロールするにあたって大事な位置付けなんじゃないかな、と。
ライティングスキルとか時間的自由とか、そういったものを手に入れるならこの資格を獲得して欲しいと思います。学びながらにして報酬を稼ぎ、そのお金で国内や海外イベントに参加するとかですね。
今ビーコンでやっていることを体系的に再現することができる。そういうことをわかりやすくお伝えできればいいなぁ、と考えています。
コメント