シンガポール航空の思い出。

ビート・ザ・コントロール
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雨ですね。こんな雨の日は、結婚する前に付き合っていたと思われる女性のこと、そして関空とシンガポール航空を思い出します。

正直、当日が雨だったかどうかは覚えていませんが、心は雨模様だったということで。

ある日、バンコクに行って別れを伝えねばならない、と決心した僕は、当時お世話になっていたホットペッパー京都編集部の編集長、ボスですね、に明日バンコクに飛ばねばならないので、明日は休みます、と伝えます。

編集長は、驚いた顔になって、事情はあるんだろう、しかし明日はWEB版の入稿レクチャーがあるから休まれたらかなわん、と申されました。

しかし、どうしても飛ばないとならないと決めていた僕はお願いし続けまして、結果皆より早く入稿レクチャーを受け終えれば行ってよしと。

ありがとうございますと編集長に伝え、入稿レクチャーをその日か出発朝かは覚えていませんが、担当の方にお願いし、その後関西国際空港に向かいます。

ひとつ、気がかりだったことがありまして、それは関空バンコク間の航空券は、予約をしていなかったことです。

バンコク発券のシンガポール航空チケットは、日付変更が自在のオープンチケットだったため、渡航当日の空席具合によっては、まだ飛べるかどうかわからなかったのです。

本来であれば電話して予約状況を確認すべきなのでしょうが、空いていなかったとしても飛ぶ、そう決めていた僕ですから、電話をせずに京都駅から特急はるかに飛び乗り、関空へ。

そして関空到着後、シンガポール航空のチェックインカウンターに行き、パスポートを出して伝えます。

バンコクへのオープンチケットを持っていますが、予約をしていません。本日飛びたいのですが。

一瞬の間を開け、驚いたような表情を担当者の男性は僕に向けましたが、少々お待ちください、と話しながら予約状況を確認してくれます。すると

小野様、本日はあいにく満席になっておりまして、席が空いていないのです。

と申し訳なさそうに伝えてくれました。

しかしどうしても飛びたい僕はお願いを続けます。

どうしても飛ばなければならないので、バンコクに行けるようにお願いします。

たぶん、普通の雰囲気ではなかったのでしょうね、しばらく間を置いてから、その男性は、こう伝えてくれました。

今から1時間でチェックインが終わります。その後、またこちらに来てください。

わかりました、と伝え、飛べるかもしれないという期待感が芽生えたものの、満席なのにいったいどうするのだろう、と思いました。

そんなことを考えて1時間が経過し、チェックインカウンターに戻ります。

先ほどの男性が僕を認めると、微笑みを浮かべながらチケットを取り出し、こう伝えてくれました。

満席でしたが、小野様のように、予約もしないで空港までやって来た方は初めてでした。先程チェックインを閉めたところ、ビジネスクラスに空きがありました。小野様のために席を用意しましたので、バンコクまで行ってらしてください。

初めてのアップグレードは、思わぬ形で経験させてもらえることになりました。

明るくはない気持ちでのバンコク行きが、一転ウキウキするものに変わったのは、言うまでもありません。

心配してくれていた前職の代表に、ビジネスで飛んできます!と手荷物検査の列に並びながらメールし、初めてのシルバークリスラウンジ、そしてシンガポール航空のビジネスクラスに乗り込み、バンコクへと向かいました。

日本とバンコク直行便はなくなったため、ここ数年はシンガポール航空を利用したことがありません。

しかし、僕にとってシンガポール航空は航空会社以上の存在であるのは、こうした理由があるからです。

サロンケバヤをまとうフライトアテンダント、国家政策としての経営、世界最高峰のサービス。

そして、僕を助けてくれたこと。

シンガポール航空の広告、機体、フライトアテンダントを見るたびに、僕を乗せてくれたボーイング777にペイントされた、JUBILEEという愛称を、思い出すのです。

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