名古屋。喫茶店。父としての存在意義。

ビート・ザ・コントロール
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名古屋の丸の内にいます。

丸の内でモーニングならここがいいですよと教えてもらいまして、そのコーヒースタンドへ。

Lサイズのコーヒーを頼んだらドンブリのミニ版みたいなカップがでてきまして、しかし意外と軽いので飲みやすいなぁ、と思いながらいただいています。

モーニングの時間には間に合わず、コーヒーのみいただいているのですが、

昨日訪れた「ゆるり人」という喫茶店といい、このあたりは個人経営のカフェというか喫茶店というか、そういうものが多いように思えます。

実のところ、東京の新宿や実家のある相模原にも個人経営店はあるのでしょうが、スターバックスやコメダ珈琲の姿が目についてなかなか存在を知ることができません。

あるいは、相対的に数が少なくなっているからなのかもしれません。

先日、京都で恵文社という本屋さんを訪れる機会がありましたが、僕の知っている本屋さんではなく、もはやこれは美術館とかと一緒だな、と感じました。

経営者なのかスタッフなのか、彼らの思想とか意志とか、そういうものが反映されてのラインナップ。

これは喫茶店とかカフェもそうだと思いまして、経営するスタッフやオーナーの生き方がそこに反映されている時、それが自分にフィットすれば居心地良いと感じますし、そうでない場合は逆も然りだったりします。

しかしその空間を心地よく感じる人たちが集まれば自ずと類は友を呼ぶ状態になるわけでして、そういう場があってもいいものだな、と思ったり。

僕が知らなかっただけで、カフェとか喫茶店とかはすでに、そういう働きをしてきたのかもしれませんが。

僕は割とコンビニ的というか、金太郎飴的というか、日常生活においていわゆる他と違うもの、個性的なものを求めてはこなかったように思えますが

それは単に知らなかったから求めなかっただけで、例えば幼いころからそういう空間に触れてきたら自ずと、他と異なるもの、個性的なものを求めてきたんじゃないかな。

環境が、その人物を決定づける、というか。

おや、ふと言葉を出してみたら、ビーコンライブセミナー@東京で話した、Be yourselfに近づいてきました。

生まれも育ちも違うのだから、僕らは他の誰にもなりえないし、自分自身で在り続けることは必然だと考えています。

そういう意味では僕の長男次男には、彼らの少し後ろから彼らを眺め、まさに我が道を行き続ける彼らに寄り添い続けるような父で在りたいなあ、

なんてことを思いました。

ワイルドサイドの島田さんがメルマガで面白そうな企画を提案してきましたね。

父としてのアイデンティティは昨年智頭で、イノックさんがホットに語っていましたが、僕もこれは大切だと考えています。

母に比べたら、子どもたちにとっての存在意義は希薄なのですから。

問われていると思いますよ、男性諸氏は。

必要とされ続ける男で在りましょう。

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コメント

  1. より:

    > そういう意味では僕の長男次男には、彼らの少し後ろから彼らを眺め、
    > まさに我が道を行き続ける彼らに寄り添い続けるような父で在りたいなあ、

    ここ、異論反論オブジェクションです。いや、正直そこまで反対する気はないのですけど。パロディ使ってみたかっただけです。すいません。人それぞれなので小野父像はそれでいいと思います。ただ!我が道を行く、お手本を示さないと、誰かが。そう!それに小野君(父)が適任だと私は思うわけです。道の方向性は問わず「これが我が道だ!」的に。そのためには後ろじゃダメです。俺を追い越していけ!的に背中で語る、いや背中でしかも前から支える昭和父像なんていかがでしょうか?常識からずれていようが間違っていると周りから思われていようが、筋を貫く生き方っていうのに男は惹かれるものです。というのはもう時代遅れ?かな?

    • ono takamasa より:

      ありがとうございますー

      同感です。

      そうですね、表現は異なるかもしれませんが、
      マーボーの言う父像とそう違いはないと思いますよ。

      まぁ、これはいずれ話しましょうー

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