内宮(ないくう)

ビート・ザ・コントロール
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「ヤマトヒメのご巡幸」

第十代崇神天皇の時代に疫病が蔓延し、たくさんの国民が死んでしまうという危機を迎えました。そこで、崇神天皇はアマテラス(八咫鏡のこと)をご自分が住むご店外の大和の笠縫邑にお祀りするように皇女のトヨスキイリビメに命じました。そこでアマテラスよりニニギが授かった八咫鏡は笠縫邑にお祀りし、その写しの鏡を作って、皇居にお祀りしました。

第十一代垂仁天皇の時代になると、神々の恵みを得て、天下泰平の世の中になりました。垂仁天皇はさらに神々のお祀りごとを丁重に整えようと考えて、皇女のヤマトヒメにアマテラスをお祀りするのに相応しい場所を探すように命じました。

ヤマトヒメは笠縫邑を出て、伊賀から近江、美濃などを巡って、ついに伊勢の五十鈴川の川上に適地を見つけたのでした。

ヤマトヒメが伊勢についたときに、アマテラスはヤマトヒメに「この神風の伊勢の国は、常世の浪の重浪帰する国なり。傍国の可怜国なり。この国に居らむと欲ふ」と託宣されました。こうして、伊勢の地はアマテラスの神意にかない、この時から二千年におよぶ神宮の歴史がはじまりました。

神話と伊勢『神さまのお話』より(株式会社アイブレーン発行)

20年に一度の遷宮による真新しい雰囲気が漂うなか、内宮に行ってきました。内宮とは伊勢神宮(正式には「神宮」のみで伊勢神宮を指すそうです)にある天照大御神を祀るところです。天照大御神は皇室の皇祖神、日本民族の総氏神とされています。

『日本書紀』においてはスサノオが「姉」と呼んでいることなどもあり、女神とされているとのこと。そして太陽神、です。

内宮に行って何に驚くかというと、若い人たちの多さ。そして鳥居をくぐる時に頭を下げる若い夫婦やその子どもたちの何と多いことか。

父が内宮の方に聞くと、今年は参拝客が少なくなっているとか。そんな中でも若い人たちが拝みに来ているというのは、なんか流れでもあるんだろうな、と感じます。

若い人たちに驚きつつ、さらに驚いたのは式年遷宮。

内宮でも外宮でも、定められた周期、伊勢神宮の場合は690年から20年毎に行われているのですが、簡単に言ってしまうと正宮や別宮を定期的に新しくする儀式です。正宮や別宮の隣に移転して新築するスペースが用意されており、そこに新しい正宮や別宮を建てて、古いものを取り壊す。そしてその取り壊したスペースに、小さな社(呼び名が正しいかどうか不明です)を設ける。20年後にまたその小さな社の場所に新しい正宮や別宮を建てて、神体を遷す。

コレを20年毎に690年からずっとやっているわけです。1300年以上です。コレはスゴイ。

そしてふと気づいたのですが、コレをやるおかげで、宮大工や宮司の衣服、神さまへのお供え物などの需要が生まれます。しかも内宮も外宮も多くの別宮やそれ以外にも宇治橋とか鳥居とか宝殿とか御饌殿などを有しており、これらも20年毎に造り替えられますから、常に需要を生み出すようにしているんじゃないかな、と。

老朽化したり壊れたから直すのではなく、スケジュール化してしまっている。循環させているんじゃないかな、と思いました。それで、コレはスゴイ仕組みだな、と。

式年遷宮をミスターシンクロニシティがこんなことは日本しかやっていない、と言った意味がわかってきました。

明日は外宮について記してみます。

P.S.
伊賀や五十鈴川、外宮より先に内宮に参拝したことで起こったシンクロニシティについても、機会があれば書いてみたいと思います。父も母も目を丸くするほど、不思議なことが起こったので。

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