昨晩は次男が「お父さんと一緒に寝る」なんてかわいいことをいうので、よしよしお父さんが一緒に寝てやるぜと張り切って次男の隣に横になると1分もしないうちに次男は熟睡。
もう寝たから大丈夫と妻に促されて居間に戻り、日課をして夜が明けると次男の送迎から今日は行動を開始。送迎後は重い荷物の買い物があったらしく、ハイパーマーケットに妻と行き、次男用の牛乳やお米を購入。いつものバンコクです。
トルコでカッパドキアの地下都市を見学したり、コンヤでメブラーナ博物館を訪れたり、エフェソスで遺跡を歩いたり、そしてイスタンブールでスルタンアフメットジャーミーそばのオベリスクやアヤソフィア、地下宮殿の話を聞いたりしているうちに、あらためてトルコの歴史と周辺国家の歴史を知りたくなりました。
グレートジャーニーでもそうですが、別の目的でその地を訪問している際、別の興味が湧いてきたりかねてから考えていたことが言語化されて解決策が目の前に現れたり、ということはよくあります。
発想は移動距離に比例するとはよく言ったもので、目や耳、鼻などの五感から入る情報には脳を刺激する効果があるんだろうなぁ、と。そう思わずにはいられません。
近いところでは、瞑想をしたことのある方ならピンとくるかもしれませんが、思考と思考のハザマに入った際の、あの浮遊感です。何も考えていない、脳を休ませる状態をつくりあげることで、脳の奥深くに仕舞われた何かを引っ張り出しやすくする。
車窓の向こうに流れる景色を眺めるだけでも、脳を休ませる効果があるのかもしれませんね。このあたりも学びのテーマです。
そうそう。瞑想と言えば、妻がタンブンに一緒に行こうというので、次男を幼稚園まで送り朝食を食べた後、お寺に行ってきました。ラーマ3世通り付近、チャオプラヤ川沿いにあるお寺です。
今回はじめて経験したのですが、金色の仏像を前に座禅のようなことをしてきました。妻が、10分間目を閉じて何も考えないで過ごせる?と聞いてきたので、おお、コレは瞑想だなと解釈。
アイソレーションタンクで瞑想状態を体験しているので、割と僕は何も考えない、思考と思考のハザマに入ることができる方だと思います。ちなみに思考と思考のハザマについては、ディーパック・チョプラ博士のことを調べてみてください。
10分間の瞑想を終え、魚にパンを施して(タンブンとはお布施と言い換えてもいいかもしれません)、コンドミニアムに帰宅。
やっぱり初めての場所に行き、初めての体験をするというのは、何ものにも代えがたいベネフィットがあるように思います。自分の志向がわかるというか。
自分が何をしたいのかわからないからこそ、外に出るべきだと思いますし、何か課題を抱えているからこそ、外に出るべきだと思いますし、満たされているからこそ、外に出るべきだと思います。
ただし、能動的に。
誰かがそこに行ったからとそれを真似してもいいですが、自分で選択して行き先を決め、行動することです。
モデリングの本質は、行動そのものをたどるのではなくて、その人の思考や直感レベルからたどることにあると、僕は考えています。だから、能動的に。
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