現在、石垣空港にいます。南ぬ島とかいて、ぱいぬしま、と呼ぶそうですね。南ぬ島石垣空港、とディスプレイされています。
今日のお昼でグレートジャーニーの石垣島編は解散となるので、午前中はサンゴ礁で知られる白保の集落に行き、日曜市が開催されているので散策。
散策といっても、エラいこじんまりとしたスペースなので、会場に足を踏み入れるとすべてを見渡せるほどです。
そこで名物のカナッぱ飯だったかな、エラい香りの立つ葉っぱにくるまれた沖縄ジューシーや古代米のおにぎりに、地元のおかずとアーサー汁がセットになったものをいただきまして、なんだか長生きできるんじゃないかと感じています。
飲食スペース兼展示室兼図書室から開け放たれたガラス戸の向こうに朱色の瓦が載せられたブロック塀のようなものがあり、そこの緑がつやつやと輝いていたので外に出ると、まあ気持ちが落ち着くこと落ち着くこと。
最近あくせくしているなぁ、と感じていたので、それだけゆったりと時間が流れる空間の有り難みが身体に染み入ったのかもしれません。
隣で島田さんがブログを更新しているっぽいのですが、「また石垣島に行きたいですか?」と聞いてきたので、ハイと答えておきました。実際、その日曜市にまた行きたいわけではないですけど…台湾へ行く前に立ち寄るとか、かなぁ。
たぶんそれだけ、空気感はよかったのだと思います。あとツヤツヤ感。
日中は暑く、夕方以降は肌寒く、風によっては寒い。
そんな中で思ったのは、暖を取りたいということでして、だからこそ洞穴に行き、生活の拠点にしていたんじゃないかと思ったんですよね。川のそばに文明ができましたが、生きていく上で川の水が必要だからそこに集う。
寒さをしのぐために必要ならば、洞穴とか動物の毛皮とか、そういうものを求めて行動する。
多分なんですけれど、なんとなくは行動していない。なんとなく島に行こうと思ったから船を出して海を航海するのではなく、なんとなく洞穴に行ってみようと思って結果的にそこに住んだというわけではない。
寒さをしのいだり、外敵から身をまもるという目的のために洞穴のようなものを探して底に住んだのであり、目的から始めているのだと思います。
石垣島にやってきた、3万年前の人による旅もたぶんそう。
グレートジャーニーを旅した関野さんの言葉によると、弱い人だからこそ移動せざるを得なかったんではないか。
コレにはうなずくところがありました。
生きるために、他に方法はなく、移動する。生きるために、他に方法はなく、海を渡り、洞穴を探し、食べ物を狩猟採集して食べる。
家族と生活するために、他に方法はなく、独立起業した。
自分のことと置き換えてみると、環境の違いこそあれ、思考や行動にそれほどの違いはないように思います。
大切なこと、生命に関わること、存在意義のようなものに関わることはたぶん、なんとなくは決断していない。
目的を持って行動しているんじゃないか、と感じた石垣島でした。
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