意識が判断するのは全体の5%程度で残りの95%は無意識が判断している。
脳科学を学ぶとこんな研究結果に出合うこともありまして、これはなるほどなぁ、と考えていますし、だからこそ習慣化して無意識の力でスキルアップとかダイエットとか体型管理とか、そういうものができるようになったほうがいいわけです。
これはセールスライティングでレジを鳴らすスキルを獲得しようとか、コンサルティングスキルのひとつとしてマーケティング力を磨くとか、経済的・時間的・空間的な自由を獲得するために独立起業しようとか、
そういう場面においても同じように適用されるものと僕は考えています。
意識が判断するのは全体の5%で、残りの95%は無意識が判断している。
歯磨きとか車の運転とか、ごはんを食べる時の所作とか服を着る時の動作とか、友だちと話す時の仕草とか、
思い出してみると意識的にやってはいないけれども、僕らは様々な動作を日々行っています。
セルフイメージ先生と呼ぶ小坂さんが言うに、人が一日に判断する回数は、確か6万回だとか。
6万回。
一日のうちに「これは判断したな」と思えるものなど、思い出してみても10もないんじゃないかなと思いますから、
6万回の5%といえば3千回ですけれども、これもちょっとでかすぎる数字に思えますが、
残りの5万5千回を意識的に判断しようとすることがどれだけ大変なことか、想像しなくてもわかるような気がします。
多くの人がセールスライティングスキルの獲得や独立起業を志し、途中で休まれていきますが、意識と無意識の事を考えてみると、その理由は少しわかる。
意識的にどれだけ論理的に考えて行動しても、気合を入れても、無意識にはかなわないからです。
これはポジティブであろうとすることも同じでして、人は痛みを伴うことを避ける傾向にありますから、痛みを伴う、すなわちネガティブというのを常に内包している、と僕は考えています。
なぜ書かないのか。なぜ営業しないのか。なぜ独立起業しないのか。
「気合でやります!」と言って、自分の中に横たわるネガティブな何かを見て見ぬふりをしたって書くことはできないですし、営業しないですし、独立起業もしない。
なぜなら、書かない・営業しない・独立起業しないという結果には原因が存在しているからです。
原因を知り、それをなくさない限り、結果は変わらないのですから。
ネガティブなものにフタをして、ポジティブであろうとしてもそれは難しいと僕は考えておりまして、
なぜなら、人間は両極を内包しているものですし、中庸であるものだと僕は考えているからです。
ちなみに僕がポジティブな言葉を選んでいるのは、ネガティブなものを認めているからこそ。
ポジティブと言われる言葉が自分の中に在るということは、その対極の言葉も持っているもの。
それを口に出すかどうかは別としても、自分の中にすでに在るわけですから、無きものにはできない。
ネガティブとポジティブを併せ持つ、そんな状況をそのまま自分に置いておくことができる。
そんな人で在ると、いいんじゃないかなぁ、と思います。
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