山中湖でのコテージ宿泊は、僕以外の家族は19時30分に就寝し、僕はと言うと日課をやっていた関係もあって、20時30分にはフトンにゴー。
フトンに入ると、
「20時30分かーはやすぎない、コレ」
とひとりで爆笑し、しかし普段両親は21時には寝ているので、その時間まであと30分であることを考えると早すぎるということはない。
僕にしてみると早すぎなのですが、まあインターネットもつながらないし、こんな日もありだろうと長男次男と妻が寝るフトンの隣で思いながら、毛布をかけて目を閉じる。
天然のクーラーという書き込みがコテージの何処かにあったのですが、この日は冷えすぎて寒いほど。夏に毛布ってなかなかの経験ですよね、日本においては。
23時と2時に目が覚めて、再度目を覚ますと5時過ぎになっており、両親も妻も長男次男も活動を開始。
両親は普段から早起きなのでいつもどおりですが、妻も長男も次男もこんなに早く起きたことを見たことがないので、やはり一緒に過ごす人のように人はなるんだなぁ、とビジュアライズしながら思いました。
長男が自転車に乗りたいというので、山中湖の周辺にあったレンタサイクル屋さんで二人乗り自転車を3台、両親がレンタルしてくれまして、少しの間サイクリング。
走ると写真スポットがあったので、そこで妻が自撮り棒を取り出して写真撮影開始。
妻が全員で撮りたいと言うので、皆でカメラに収まり、その後はレンタサイクルを返して昨日のアイスを次男のリクエストで食べに行くことに。
そして久々の道志道を通り、実家へ。
しばらくのんびりしていたのですが、そういえば妻がタイのママ友だちからバッグを買ってきてと頼まれていたことを思い出し、明日行こうと思っていたのですが、ミーティングするならやっぱり家にいたほうがいいかと思いまして、
急遽渋谷まで次男を連れて行くことに。長男は両親と留守番。
最寄り駅まで行くまでのこと。
父が車を使っていいと言うので、駅まで国道を走らせていたところ、バックミラーを見ると後ろから救急車が接近。
窓を閉めているとサイレンの音が聞こえないので、窓を開けてうっすらとサイレン音を確認し、妻に「鳴っている?」と聞いて再チェックしたあと、クルマを減速して目視チェックして左側に停車。
直後に「ありがとうございます」とアナウンスしながら救急車が右側を追い抜いていきました。
その後口を開いたのは妻でして、
「今、ありがとうございました、って言ってたね」
とタイ語と日本語で話してきたので、日本においてはそうなんだと解説。
すると妻が、日本人てちゃんとしていて優しいからね、と言うので僕は、
「そうかもしれないけれど、ガマンしているという感覚のほうが強いかもしれないよ。本当は先に行きたいし停まりたくない。でも、そうしなければいけないからガマンしている。だからタイの人よりも日本の人のほうがストレスを抱えてそうな感じが、僕にはしている」
と回答。しかし日本人像というのは、いいものなんだよな、妻にとって。
自分で自分を眺めてみた時に、たぶんタイや中国やトルコを眺める以上に日本のことを厳し目で見る僕ではありますが、日本にいてよかったと思うのは、まさに救急車が通ったときでして、
コレ、妻も言っていたんですけれど、タイだと・・・タイというよりバンコクですね、バンコクで救急車が通ろうとしても渋滞で通ることができないよ、と。
実際、僕が見たときは救急車が間を縫って先を行こうとするのですが、隙間なく渋滞しているせいもあるのか、エラい遅々として救急車は進まず、はたから見ていてハラハラすることがありました。
3車線や4車線の道を、5車線とか6車線で走るイメージです。
道路ではない、路側帯というか路肩というか側道帯というか道路端というか、まあ通常は通行しないところですよね、あそこまで車線ができて渋滞しているので、もう救急車がビュンと走る場所はない、って感じです。
バンコクの全てがそうなのかというとそういうわけではないのですが、交通ルールが比較的遵守されている日本のほうが、運転中の万が一の時に命は助かるだろうな、とは思えます。
そこにずっといるとその恩恵が当たり前で気づかなかったりするので、自分の経験の外に出てみるというのは大切なんだろうな、と思った次第。
自分一人で新しい経験をしようとしても、経験のワクを超えることってたぶんないですから。
上海とかサフランボルで日本を見る目が変わったのは、現地で出会った人によるものだったりします。
あれ、話がそれてきたので、このへんで。
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