言葉だけでコミュニケーションするわけではない。

ビート・ザ・コントロール
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身振り手振りやふれあうことでもコミュニケーションは取れるけれども、私見をいうと、僕らは日本語という母国語に支配されていることってあると思う。

自分が知っている言葉、自分の経験に基づいた解釈によってコミュニケーションした気になっているというか、そんな感じ。

意思疎通の基本というのは、相手が話したいように聞くことであって、自分が聞きたいように聞くことは相手の真意を見誤る可能性をはらむ。

相手の話を聞いている時に、「それ知っている」とか「面白い」とか「つまらない」とか。こう考えたりつぶやいたりしてしまうということは、自分の聞きたいように聞いてしまっている証拠だと僕には思える。

書いたり話たりするよりも、読むことや聞くことが大事であって、なぜならば相手の真意を理解することなしに、返信や返答はできないはずだから。

キャッチボールにならないなら、それはコミュニケーションではない。

僕が旅の最中に気づいたのは、言葉はコミュニケーションの一手段に過ぎず、すべてではないということ。言葉が通じなければ、身振り手振りをするし、握手したり微笑んだり、涙を流したりすることで、大体においては意思疎通できるもの。

タイ語が未だに普通のタイ人には通じにくい、僕のタイ語レベルでもバンコクで生活できるということは、言葉がすべてではないという証拠になるんじゃないかと思う。

言葉の通じない国への一人旅を勧める理由はここにあって、それは言葉がすべてではないと知ってほしいからであり、やっぱり言葉は大事だよね、ということを知ってほしいから。

自分の言葉が通じないことを知り、一度言葉をないものとしてコミュニケーションしてほしいから。

すると言葉というものを他の手段と比べて相対的に眺められるようになる。主観を飛び出して客観視できるようになる。自分が主観的に「それ知っている」とか「面白い」とか「つまらない」とつぶやこうとした瞬間、それも客観的に眺められるようになる。

そのためにも、一度言葉を「置いておく」というのを経験してみるといいと思うんですよね。

その方法のひとつが、僕の経験からすると一人旅。そして、アート。

ぽっちりライフプロジェクトで美術館に行ったのだけれど、そこで僕はある動物と玉ねぎの絵に目を奪われました。モノを見てこんな解釈があるのかと。その解釈を絵で表現している。

玉ねぎの絵なんか躍動感があって、子どもが見たら玉ねぎを好きになりそうな、そんな感じの絵。玉ねぎにも意思があるんじゃないかってくらい、動きや表情が見て取れる。

コレを言葉じゃないくて絵によって行っているんですよね。そういう気持ちにさせるという意味では、絵も言葉と同じように、コミュニケーションの手段として使える。

それで、ふと思ったんです。

絵を見て、それを言葉で描写できるようにするというのは、自分の常識を飛び越える良い訓練になるんじゃないかと。

僕らは自分が経験していないこと、自分の中にはない言葉を使うことができないものです。さも当然のように知らない言葉を話せるのだとしたら、それは詐欺師、かな。

絵を見て、それを細部まで言葉で描写する。

絵を見て湧き上がってくる気持ち、感情をありありと描く。どんなふうにうれしいのか。どんなふうに悲しいのか。どんなふうに怒りがあるのか。

知らない言葉を出すことはできませんから、自ずと語彙、ボキャブラリーを増やすことになります。こんなことを課題としてやると、自分という器が広がって、セールスライティングスキルもエライ伸びるんじゃないかな、と。

言葉は大事だけれども、他にも意思疎通の方法はある。

握手するとか、触れ合うとか。

息子たちを抱きしめるかのように、他者とも触れ合えるといいんじゃないかなって思います。

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