アンタが良くてもアタシには良くないのよ。

グレートジャーニー
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グランドデザインを拠りどころにして短期目標を設定し、次回上海でのプライベートセッションを予約。

昨晩はプロジェクトの件でチャットワークに書き込みしつつ、おまたせしてたセールスレターの修正箇所を列挙。

そして来週に控えるLicense to beatのライティング2クラスの会場を予約。

そんな感じで行動していたら、時間が4時を過ぎておりまして、今日のグレートジャーニーで運転することを考えたら眠くなってきて就寝。

6時頃から両親が活動を始めてくれたみたいで、7時過ぎに起きてみると部屋がキレイになっている。

先程まで筋膜リリースをやりつつ理想の一日をよみあげていたのですが、その時母が

「この部屋閉めておくよ」

というので、いやいや、そのままでいいよ、と僕が返すと

「だって、アンタの知り合いに見られちゃって恥ずかしいじゃない」

と言う。

母は昔から、僕がコドモの頃から、狭い家が恥ずかしくて・・・と言っておりまして、あ、これ僕の妻と似ていますね、ことあるごとに「〜で恥ずかしい」と言うんです。

奇しくも今日は僕がホスト役になるグレートジャーニーなわけですが、このテーマはルーツを辿る、ということ。

これは私見ですが、情報がインスタントに誰でも手に入れることができる現在(それでも情報の入手には鍛錬も必要ですし、本物志向ならばそれは本物からしか手に入らないとは思いますが)、同じような目標を語って、同じような未来を描く、というか想像する。

でもそれは想像に過ぎず、実現することはない。夢はあってしかるべきだと思うけれど、何が何でも実現したい夢だったら、僕はいいと思います。

同じような目標や同じような未来を叶えることが難しいのはたぶん、その人でなくてもいいことだから。

誰にでもできそうな未来というのは、誰も叶えることができない。なぜなら、そこに必然性がないから。

だからこそ、自分の生まれ育ちとか、ルーツを辿る、ということに着目しておりまして、幼いころのクセとかそういうものが、今の自分をつくっていたりする。だったら、そのルーツに未来を発見することもできるのではないかと。

そう考えると、なぜ僕が海外によく出るのか、タイや中国、トルコに親近感を持っているのかは、ルーツに答えを見出すことができます。

僕らがどれだけ彼らから好かれているか、愛されているかを、僕ら自身が知らない。

僕はこのあたりにエラく危機感を持っておりまして、それは息子たちを連れて世界をめぐる、例えばシベリア鉄道に乗ってモスクワまで行き、その後はベルリンで妻と合流するとか、そういう計画を立てていることとも関係があります(ホントに、ゆるりとした計画ですけどね)。

話を戻して、母との会話。

そういえば昔から母は「恥ずかしいから」と言っていましたが、僕は昔から友だちを母が言うところの狭くて恥ずかしい我が家に連れてきておりました。

新興住宅地であったこのエリアは一戸建てばかりで、当時は割と裕福な、会社員の中でもそれなりの立ち位置にいる方々が購入していた場所だったみたいです。

実際、僕の友人の父は知る限り数人、上場企業の役員とか、海外支社の社長とか、そういうところまでやっていたみたい。

彼らの家に行けばいいのに、僕の家に来るのはなぜかというと、ファミコンがあったから(あと、『キャプテン翼』とかマンガ)。

母とは違い、僕は自分のいる場所に恥ずかしさというのを感じたことはたぶんなかったんですよね。

これはタイで結婚式を挙げたとき、妻が恥ずかしいと言っていた住まいに友だちを連れて行った時も同様です。ちなみに恥ずかしい理由は、確か散らかっていたとか、バンコク郊外の借家だったから。

はからずも、グレートジャーニーが始まる前に、自分のルーツを思い出したひとときでした。

昔も今も、恥ずかしいという感覚が、たぶんあまりないってことですけど、こういうの、たぶん大切です。

そういうのが、自分自身である、ってことだと僕は考えてるので。

では、皆さんを迎えに行ってきます。

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