ウーティーの朝。両極のある場所。

ビート・ザ・コントロール
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インド4日目の朝はウーティーでの目覚め。

デリーやコインバトールとは異なり、暑さの欠片も感じれらないようなこの街は、さながらスイスのグリンデルワルトとか、タイならカオヤイとか、日本なら軽井沢とかかな、そのあたりの雰囲気にとても似ています。

そのせいか朝の空気は冷たくて凛としており、思わず背筋がぴっしりと伸びるかのよう。

その空気感から標高が高いんだろうなということは伝わってきますが、ここウーティーにやってくる過程で僕は、インドの地理も気候も何も知らなかったんだな、ということに気づきました。

人はどこかで聞いた話、どこかで読んだ話をさも自分が体験したかのように仕舞いこみ、それを当然のように捉えてしまうことがあるものですが、

今回の訪インドで学んだのは、

「行ってみて体感してみないと、実のところはわからない」

ってことだなぁ、と。つくづく、思います。

デリーやコインバトールでは熱いお湯がでなくても、バンコク同様に「暑い国だから」と一括りにしたようなことをつぶやいていましたが、

ウーティーではシャワーを浴びる前に「熱いお湯がたっぷり出るといいなぁ」とつぶやいているわけですから、人の五感というか身体性を伴う経験というのは、本当に素直なものです。

不思議とこのブログを書く今現在、僕自身も素直な感覚で胃腸から食道を通り、喉の奥からスラスラと出てくる感じで言葉を出すことができています。

いつもスラスラ書くといえばスラスラ書いているわけですが、脳を空っぽにして言葉を出していくというのは、ストレスとかそういうものがあるとなかなか難しい。

考えずに書くというのが僕自身のライティングにおけるテーマですから、文章の頭からオシリまで、首尾一貫して無意識で書くということができれば、その文章はオーケーということになります。

しかし頭からオシリまでそういう状態で書くというのは、結構ホネなんですよね。

どこかで一瞬、邪念が入るというか。

*もっと自分をよく見せよう

とか

*ちょっとくらい話を盛ってもいいよね

とか

*人の経験を自分の経験のように書いてもいいよね

とか。

そういう邪念が入る度に、客観視する僕が「経験以上に見せようとしないほうがいいよ」とささやき、僕は現実世界に戻ってくるわけですが。

今日はそういうことをする必要がなく、ここまで書き続けることができています。

グリンデルワルトの空気感は今でも覚えていますが、あの朝の肌寒い、そういう触れるだけで肌が切れそうな、尖った空気と太陽のやわらかな暖かさ。

ああ、そうか。

僕は両極を感じられる場所が、好きなのかもしれないな、と思う。

それは人もそう。

どちらかに偏った人など、本来存在しないだろうと感じるので。

今日はウーティーからマイソールへ。マイソールは2連泊するようなので、ニュースレターのライティングをする予定。

では、また明日。

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