「オレの息子だからな」というマッチョな父発言の驚くべき説得力(根拠がないのにね)。

ビート・ザ・コントロール
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先日、妻からこんなメッセージが届きました。LINEです。

「ユウキが先生の日のリーダーに選ばれたよ。クラスで男の子1人、女の子1人しか選ばれないんだって。ユウキはラッキーだね」

このメッセージと一緒に送ってくれたのが冒頭の写真。僕の感覚では先生の日に花を贈るなんてエライ新鮮で、このへんタイと日本の文化の違いだよな、と思ったりします。もしかしたら日本でも、先生の日というものがあり、僕が知らないだけでそういうイベントが有るのかもしれませんが。

他の写真と一緒に見てみるとわかるのですが、先生の日というのは結構なイベントのようで、そういえば学校自体が休みだった気もします。だからこの日は、振替先生の日みたいな感じですかね。

それで、妻からこのメッセージと写真をもらった時、どうも普段よりも次男の表情が凛々しく見え、ああ、こういう経験というのはオトコを成長させるのだ、とニヤニヤしながら眺めていたのですが、

その瞬間、僕はこんなことを口にしていました。

「まぁ・・・オレの息子だからね」

この言葉を口に出したあと(ひとりごとです)、しばらくニヤニヤしていたのですが、突然我に返って僕は

「ハ!オレの息子だからねって子育ては妻がしているのに、そこに何の論理性があるんだろうか?帰納的には?いやいや!そもそもオレが子育て初心者なんだから事例がない、つまりそれには無理がある。じゃあ演繹的には?うん、これならイケるかもしれない・・・が、そもそもオレの息子だからねが意味するところって皆同じかどうかわからないから一般化できるのだろうか・・・う〜ん、難しい。ではでは、アブダクションか?いやいや、アブダクションなんてこの間島田さんから聞いたばかりで定義づけられていないじゃないか・・・ハ!じゃあ、今井先生流に弁証法だ!・・・弁証法ってなんだっけ?」

・・・こんなことをつぶやいていました。

昔から「オレの息子だから」という言葉を父から、野球でホームランを打っては聞き、運動会のリレーで疾走しては聞き、志望校に行けなくては聞き・・・そんな感じで「父が口を開くと、オレの息子だからね」をなかば日常のように聞いていたのですが、面白いなぁ、と。

中学3年時の進路を決める三者面談でも父は、「私の息子ですから(進路については本人の選択を信じている)」とやはり先生に伝え、隣で聞いていた僕は誇らしい気持ちになったとともに、

冷静な僕は、「ハ!そもそもオレってお母さんが美容師として働き、面倒見てくれたから今ここに居るんじゃないだろうか」と思ってしまい、ちょっと笑ってしまいました。

僕の父は議員になる前、まぁエライ怖い人物で僕が騒ごうものならバットを持って叱りに来るという、そんな父だったのですが、同時に仕事といえばパチンコで、「パチンコで選挙に出る供託金を稼いだのだ」とハタから聞いたら「またまた〜ご冗談を」と言われるような言葉でも、僕からしたらそれは事実だよね、というような感じだったのです。

だから、誇らしいと同時に、う〜ん、お母さんが僕を育てたんだけどなぁ、と当時は思っていました。

今では、父親というのはある意味反面教師的なところというか、母が正だとすると父は反と言うか、両親が両極に在るというのも大事なんじゃないか、と思っているので、

パチプロな父ではありましたが、今では「オレの息子ですから」と言い続けてくれたことに感謝しています。

怖いだけの父でしたが、そんな父が「オレの息子だから」と言い続けるのは不思議なパワーがありまして、なんか無条件に信じられているというか、そんな安心感がありましたから。

つまるところ、僕は妻がなんと言おうとも、「オレの息子だから」と言い続けるのでしょうね、ってことで。

そういえば過去に長男を叱った時も、僕が口に出した言葉は「お前はオレの息子だろう」でした。

なにはともあれ、環境は人をつくりますね。

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