居間に行くと両親が映画を観ていました。『ショーシャンクの空に』。その昔、高校時代の友人であるマルくんに勧められてこの映画を観て以来、iTunesで購入するほど割とよく観る映画です。
そうはいってもここ数年は観ていなかったし場面をみるとあと30分ほどでクライマックスだということで、両親と一緒に鑑賞しました。
うっかり、「ここでアンディが…」と言ってしまいそうになりましたが、メジャーリーグのある日は必ず仕事前に録画しておく父なので、結末を言ったら残念がるだろうと推測し、じっと黙って、しかしニヤニヤしながら鑑賞。
アンディがショーシャンクから出てレッドが出所し、最後はメキシコの青い海がある街ジワタネホで再会して映画は終わるわけですが、それを眺めながらふと思ったんですよね。
男の価値は大切な友人がいるかどうかで決まるんじゃないか、って。
主人公の一人、アンディは映画のなかでは散々な役どころでして、奥さんがゴルファーと浮気して、そのゴルファー宅に押しかけた泥棒に奥さんも殺害されてしまい、その犯人として警察に捕まり刑務所に入れられてしまうというもの。
浮気した奥さんを追いかけてゴルファー宅の前で車を停めてお酒を飲んで待っているシーンが冒頭にありますが、個人的にはタイでの結婚前に付き合っていると思いこんでいた女性との思い出もありまして、ああわかるなぁ、とティム・ロビンス演じるアンディの漂わせる哀愁にグッとくる次第。
刑務所にはいってからは、モーガン・フリーマン演じる通称レッドとの絆が深まり、それがレッド出所時に手紙でジーンと来るわけですが、こういう友人、仕事でも人生でもこういうパートナー的な友人がいるかどうか。
それが男の価値なんじゃないか、って思ったんですよね。
自分の両親はじめ親族、結婚してもしなくてもパートナーとなる女性の家族や親族、そして子どもたち。彼らを大切にすることは当たり前なので、僕にとっては彼らが存在するからといってもそこに自分自身の価値を感じることはそうありません(仕事をする動機にはなりますし、特に妻や子どもの存在は大きい。両親にラクさせてあげるぞ、というのもある。しかしそれは義務というか当たり前のように思えるのです)。
むしろ血のつながりも契約もない、友人と言っていいのかどうかわかりませんが、そんな人物との出会いや付き合いこそが、自分の人生の深さ、広さ、有意義さ、ゆとり、価値を決めるんじゃないかなぁ、と。
以前観たときは、そんなふうに思う映画ではなく、痛快さとかやり続けることの大切さとか、意志のあるところに道はできるとか、そういう意味で好きな映画だったんですけどね。
男の価値は大切な友人がいるかどうかで決まるんじゃないか?損得抜きの付き合いができる友人の存在で決まるんじゃないか?
そんなふうに思った土曜日の夜でした。私見として。
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