身体を和紡布でガシガシこすり、湯気が沸き立つ湯船からお湯をザブンとすくい上げ、頭からバシャバシャとかける。
シャワーの便利さに心を奪われた時期もあったけれど、湯船からたっぷりのお湯をいただく爽快感が、日本にいるときに味わう贅沢です。
タイでもバシャバシャできるけれど、田舎ではお水だから・・・それも気持ちいいけれど、熱いお湯の爽快感は、身体中の毛穴が弛緩して開くような感じがして、気持ちがいい。お水は逆に、エラい冷たい井水を被ったときの、キュッと引き締まる感。サウナの醍醐味ですね。
そんなことをしていたら、ふと言葉になったのが、応援されている人ってどんな人なんだろう、ってことです。
今読んでいる本が『江副浩正』、馬場マコトさんと土屋洋さんの共著で、日経BP社刊。土屋さんは初めて聞く名前だけれども、江副さんも馬場さんも、僕にとっては縁ある人です。
かつて「広告とは何か」を学ばせてもらったリクルート学びディジョンの先輩に贈られた言葉から、僕が勝手に縁を感じている、という具合なんですけどね。だから、手にとって読み出しました。このあたりの話はまた、おいおい。
江副さんの話が進めていくと、馬場さんと土屋さんの文体がそういう気持ちにさせるのかもしれないけれど、悲しみが疾走しているかのような感覚になります。あ、かなしさは疾走するならば、小林秀雄さんの『モォツアルト』です、なんか今日は、こういうの思い出すな…。
本の中にも書かれているけれど、江副さんが疾走して、それを応援してくれる人がいるなぁ、と思ったんですね。悲しみを抱えて突っ走るので、アイツは放っておけないと皆が応援してくれるのかな、なんて最初は考えてみましたが。
しかし、事業規模が大きくなっていき、1964年の東京オリンピックロゴをデザインした亀倉雄策さんや名だたる企業の経営者たち、そしてリクルートの経営陣を巻き込んでいくのはたぶん、
「こういう会社にしていく」という時代を見据えた世界観と意志、「なぜ、こういう会社にしていくのか?」という論理性。
そして、自分自身の生まれと育ち、経験。何より、率先して行動する姿。
こういうところなんじゃないかな、と思ったんです。
そしてこれが、周囲から応援される人の特徴かもしれない、と考えました。
昨日か一昨日のブログで、行動は言葉よりも雄弁に語ると書きましたが、僕の周囲にいる人を思い出してみた時に、応援される人というのは、どこに向かっているのかを伝え、そこに向かって走り続けている人です。
他にも応援される要素はあるかもしれませんが、コレは私見ですけれど、どこに向かっているのかを伝えなければ、行動の意味がわからない。だから、応援したくはならない。なんか変わったことやっているな、程度。世界観と意志、そして行動。これら3つは同時に伝える必要があるんじゃないかなぁ、と。
独立起業をする。転職をする。セールスライティングスキルを身につける。
こういうふうにしたいと思っているけれど、周囲に応援してくれる人が1人も現れていないのであれば、時期尚早なのかもしれません。なぜならば、世界観と意志、そして行動、何かが欠けているからです(私見ですけれど)。
僕の場合、数えたわけではないですが感覚値として、何かをしようとした時は、10人いたら1人は応援してくれていました。もっと少ないかも。まあ、大多数は反対するんですけど…しかし、大多数は反対、または否定的な声を上げても、アルバイトしていた塾の夏期講習で個人的な講座を折半で開講することができましたし、ブライダルの事業を立ち上げることができましたし、アプレンティスではダイレクト出版との業務委託契約を結ぶことができました。
逆に応援されなくなると…塾に居づらくなりましたし、ブライダル事業は閉じましたし、ダイレクト出版との業務委託契約はなくなりました。
応援されていた時に共通するのは、「どこに向かっているのか?」を伝えていたこと、そしてそこに向かって走り続けていたことです。
ダイレクト出版との業務委託契約が終わったとき、ワイルドサイドの島田さんにそれを伝えたら、新しい道を示してくれました。
コレが応援なのかどうかはわかりませんが、少なくとも、世界観や意志、そして行動は伝わっていたのかな、と思います。
今、あなたに何かやりたいことがあったとして、それを応援してくれる人がひとりでもいますか?
もちろん、誰にも伝えずにやるのもいいでしょう。
しかし
そのやりたいことをやる以上、人との関わりなくしてそれをやることは、不可能に近いと考えています。
人はひとりで生まれてくるわけではありませんし、ひとりでは生きていけないと僕は考えていますから(私見です)。
応援されていますか?
言い換えると
なぜ、それをやりたいのかをまず「自分に」伝えることはできますか?
自分で自分を、応援できますか??
私見ですけれど僕は、行動よりも先に大切なのは、意志、こういう世界をつくるという世界観だと思っています。
意志のあるところに道が見える。だからそこに向かって、目の前が雪に覆われていても草木が生い茂っていても、エラい高さの巨岩がそびえ立っていても、ラッセルして、かき分けて、乗り越えていけるんだと思います。
ビート・ザ・コントロールには資格が必要ですよ、と以前話したことがありますが、応援される人であるか?というのは、まさに資格なんですよね。
では、結果的に(狙って応援されてもバレますよ)、応援される人であるには、どうすればいいと思いますか?
その答えが、「第三の理由」にあると、僕は考えています。
興味があれば、ウェビナーにてお伝えしますね。
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P.S.
『江副浩正』、いま176ページのあたりですが、面白いです。ちらっと先読みしてしまった馬場マコトさんの書いた「あとがき2」を読んで、2003年4月4日に先輩からもらった手紙をまた、思い出しました。
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