前にも書いた記憶もあるのですが、自分の身体と脳の限界値を超えてきている感がヒシヒシと。なんか、身体のコントロールが効かなくなっています。
2013年や2014年の方がよほどハードワークだったと思うのですが。状況的に。しかし身体と脳は今のほうがヤバイと言っています。
思い当たるのは休みのなさ、かな。セールスライティングスキルアップに励んでいた頃は、今でも励んでいるのですが、会社勤めしていない日がありましたし、この日は自分の意思で何をするかを決めることができました。コピーの勉強時間を多く取りつつ眠ることもできた、って感じです。
しかし今は眠る時間を確保することができない。キャパオーバーとはこういうことかと。オーバーワーク状態なのかな、なんて思ったり。
自分に限界はない、というのが小さい頃からの基本方針でしたが、こうもコントロールが効かなくなってくるとその基本方針はちょっと違うんじゃないかな、と今さらながらに思います。
日課のビジュアライズで読み上げている言葉のひとつに
「一番大事なことを一番大事にする自分で在る」
というものがあるのですが、これができていないということなのか、ここ3年で久しぶりの感覚が現在の僕を覆っています。それは何かというと、たぶんストレス。その証拠に、頭痛が治らない。これは、ストレスだな、と。
どんなにうまく生きていこうと身体という器はひとつですから、身体がよろしくないとうまく生きていくことが難しくなる。健康第一とはよくいいますが、それはそのとおりだろうと。
これまでは、自分に限界はない、オレには無尽蔵の体力と氣力が在るのである、なんて感じに思っていましたが、いい加減そうではないことを知る必要があるんじゃないかな、と。
コレは「オレはこんなもんじゃない」というところにも通じることがあると思っていて、じゃあどんなもんなんだろうと。身体が動かないのであれば、何かを見なおさなければこんなもんで終わっちゃうよね、と。
僕の場合は、体力と氣力。いま知らなければいけないよね、って思います。
先日、2023年から2016年にかけてのマスタープランを箇条書きしました。2023年12月31日の理想の一日を毎朝毎晩読み上げていたら、こんな感じだよねって具合に箇条書きすることができたので。
読み返してみると、これが僕にとっての大事なことなんだろうということがわかります。今の状況でそれを達成することができるのか、と言ったらもちろんできるのですが、その前に身体がおかしくなりそう(こう書くあたり、オレはなんてマッチョな考え方をするんだ、と苦笑しちゃいましたよ)。ならば、何かを変える時だよね、と。
限界を知る、限界を認めることでこそ、限界を超えることができるんじゃないかな、と。
仕事とは関係あるとはいえない神職養成講座をやることで、こう感じることができたのはおもしろいな、って思います。
一番大事なことを一番大事にする。
あらためて、こういう自分で在るようにデザインしていくってこと。では、おやすみなさい〜
P.S.
写真は神職養成講座の校外学習で訪れた武蔵野御陵にて。雪が舞っていてエライ綺麗な景色でした。
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