再び、熱量と圧倒的な行動量。清濁併せ呑む。没頭するという真価。

ビート・ザ・コントロール
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ミスターフィクサーのおかげで、僕は参加するメンバーの方々に仕事を依頼して実戦で書いてもらい、報酬を振り込むというスタイルのビーコンコーチングを提供できている、ということです。

これはつい最近会った時にわかったのですが、「僕は小野さん以外にライティングを任せないですよ〜」と話されるので、リップサービスする人じゃないし、じゃあそれはなぜかと考えたところ、ああやっぱりこのレベルで書ける人がいないんだな、と。全体を鳥瞰して全体はもちろん、パーツのライティングができる人もいないんだな、ということがわかりました。

これはそのまま、ミスターGが専属的な契約を決めた、クライアント側がやたらと急いでそれを決めた理由にもなるのですが。

スキルを伸ばし続けるって大事ですよ〜ってことなのですが、この話をする核心はココではなくて別のところにあります。

これは昨日のブログで最後に書いたこと。「スキルを伸ばし続けるって大事」、ではないなら小野は何を伝えたいんだと、何が核心なんだよというわけで、今日はその続き。

答えを求めないという在り方。

何度かどころか常日頃から言っているのですが、人は生まれも育ちも違うのだから、同じ人などいるはずがない(近い人はいるかもですが)。その昔、大学時代に教育心理学か何かで「人は環境、教育によりまったく同じ人間になる」ということを学んだのですが、これは「同じ人などいるはずがない」という根拠でもあります。なぜなら、まったく同じ環境で育つなど、物理的にできないからです(もちろん100%ではありませんが)。

一卵性双生児にしても、生まれ出た瞬間から環境は異なります。極端な話、お母さんにどっちが先に抱っこされるのか、どっちが先に声をかけられるのか、どっちが先にミルクを飲ませてもらうのか、まあ、多くの局面で似て非なる環境というのはあるわけです。

双子でさえそうなのですから、他の両親の間に生まれた人たちとその他の人たちが同じであるはずがない。僕はこう考えています。

てことはですよ、ある人がうまくいったって、別のある人がそのやり方を真似してもうまくいくかどうかはわからないじゃないですか。これはセールスライティングに魅せられてダイレクト出版さんやフォレスト出版さんなどの教材や本を買っても、セミナーに参加してもうまくいかない人がいる理由でもあると思います。

そんな中でも、いわゆる原理原則と言われているものはきちんとやりさえすればうまくいくようになっている。もしくは、うまくいくことが多い(と思う)。科学、脳科学とかって原理原則と言っていいかわからないけれど、これに近いのでは。

実際のところ、世の中で言われている「成功法則的な話」って、突き詰めると原理原則に行き着くワケですから。僕が最近、ビジネス書とかを読んでもそんなに意味は無いんでじゃないかと思う理由はここにあって、なぜなら突き詰めていくと同じ原理原則に行き着くからです。だったら、原理原則を学んで実践したほうがいいんじゃないかって思う。

しかし原理原則にしたって、大元は解釈が曖昧になりがちで抽象度が高かったりする。読み解く力、経験が必要になってくるんだけど、その基礎体力をつけようと人はしない(メンドクサイからね)。じゃあ、そんな原理原則ってカンタンにはわかりえないじゃん、って思うわけです。

だからこそ、もうそこは割りきって、そういうもんだと思って。真理探求じゃないですが、答えを探し続けるって大事だと思うんですよね。人は誰もが違うから、成功法則だってみな違う。指標となるのは原理原則だから、これを正確に解釈し、思い込みという観念を共通認識化した概念にまで昇華させる。すると、その抽象度を具体的なものとして、フッと理解できる時がくる。まぁ、時間がかかるってことなんですけど(個人差はあると思います)。

なんというか、答えなどないんだと僕は思う。短期的にパッと手に入る生き方なんかない。

そんなのあったら、ロマンがないじゃないか!って思う。ワンピースだってドラゴンボールだって、修行して強くなるのであって、最初から強いわけじゃない(まぁ、普通より強いけれど)。あの修行期間、1週間とか1ヶ月じゃない。1年とか2年とかでしょう(スラムダンクは圧倒的な行動量ね)。

単位が違う。なんか短期的な成果や結果を求め過ぎな風潮がある。前戯は長いほうがいい、っていうじゃないですか。

ミスターフィクサーにしたってミスターGにしたってやりたいからやっているのであり、短期的な利益、利点を求めているわけじゃない。ただ、これをやり続けることが楽しいし、誰かが喜んでくれるからやっているだけだったりする。

もちろん、誰かを見返してやりたいとか、世の中の役に立つとか、そういう気持ちもある。しかしそういう利他性とか利己性とかが在りながらも、今すぐ何かの成果を求めているわけじゃないし(もちろん手に入ればいいなとは思いますが)、そういうものではないことを知っている。清濁併せ呑んでいるんですよ。

こういう生き方がいいかどうかって人それぞれなのですが、この人の人生は楽しそうだな、と僕が思う人って「没頭する」ことを知っています、というか、没頭しています。

だから成果は二の次であり、マスタープランの実現だって結果にすぎない。これらは二番目以降に大事なことなんだと思います。

もちろんこれらはキレイゴトかもしれない。だから僕は稼ぐことをまずは奨励している。

熱量と圧倒的な行動量が大事ですよ、没頭することが鍵ですよ、ということを伝えたかったんですけど、いかがでしょう?

え?没頭できない?3ヶ月でも半年でも、やり続けてください。ああ、僕の甘いところが出た。個人的には1年、やり続けて欲しい。同じことをただ淡々と。

短期的に答えを求め過ぎなんだと思います、世の中の多くは。清濁併せ呑める人が増えたら、いい感じの世界になるんじゃないかなぁ。

ミスターフィクサーのいう、「圧倒的な行動量があれば、出来ないことはないが信条ですし、実際にそうしてきました」という言葉は、没頭することの真価をあらわしているんじゃないかなって思いますけど、どう考えますか?

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