ピーターパン症候群。

日刊ブログとメルマガをやめました。

『引き算の卓越』の方では少し書きましたが、僕自身がどうでもいい情報を広めていて、ピーターパンを生み出す一端を担ってしまっているのではないかと考えたことが、やめた理由です。

ビート・ザ・コントロールというコンセプトは気に入っていて、僕はコピーを書くこと以外にも使っていました。

現状を打破するとか、自分の人生を切り開くとか、そういう意味でです。

しかし、そういう意味を誤解して使っている、自分の都合のいいように解釈している人もいて、そういう人がピーターパンになって勘違いしているなぁ、とも感じておりまして、

その原因は、そんな空気を生み出している一端は、自分にあるんじゃないかと、自分自身に嫌気が差していました。

そして、そういう空気を作り出している、「あなたは何者もなれるんです、望む人生を生きることができるんです」という広告やプロモーション、世の中にも。

実際、会社名を変えようとしている程度には、この会社名を口にすることもイヤ、と考えていました。

一方で、ビート・ザ・コントロールというコンセプトに共感し、このブログを毎日見ていなくても、何かを感じ取り、応援してくださる方もいます。

先日、人を介しまして、小野さんは大丈夫なのか?という心配の声、あるいは叱責の声をいただきました。

僕に対して何も思うところがなければそういう声もないでしょうから、応援の声と受け止めまして、今日はビート・ザ・コントロールについて、僕の思うところを書いてみたいと思います。

ビート・ザ・コントロールには資格がいる

もう3年前になりますが、License to beatという講座を開催していました。

その講座のコピーは、「ビート・ザ・コントロールするには資格が必要です」というもので、その資格は3つあると。

1つ目の資格は、自分がどう生きたいのかを探求し、知見を広め、深めていくこと。

2つ目の資格は、論理的に思考するスキルを獲得すること。

3つ目の資格は、稼ぐスキルを獲得すること。

そうすることで、自分の人生を生きられるようになりますよ、というメッセージを発し、そのための講座を開催しました。

中でも大切なことは、1つ目の資格でして、なぜならそもそも自分がどう生きたいのかを知らないと、言い換えると自分のことを知らないと、論理的に思考するスキルだって稼ぐスキルだって必要かどうかわからない、と考えているからです。

論理的に思考するスキルは1つ目の資格に先立って必要かもしれません。

稼ぐスキルが必要かどうかなんてあったらいいようなものですから、ほんとに自分に必要なの?なんて問いかけるほうが普通じゃないかもしれません。

実際、『思考は現実化する』とかアファメーションとか、そういう本が話題になって、稼ぐ系のブームみたいなものは姿を変えて形を変えて伝染病のように流行ります。

僕から見たら行動していない人ほど、主観が入りますけれど努力していない人ほど、こんなことだけをやってしまっている。

僕も理想の一日とかを書き出して毎朝毎晩読み上げるというのをやっていましたから、効果を否定するわけではない。

まあ、、、その効果は日課にあるのかどうかは神のみぞ知る、なんですけどね。。

しかしこれは声を大にしていえるかな、というのは、願うだけで、またラクして稼げる系のことをやったって、仲間がいるから頑張れる系のサークルに入ったって、肝心要の自分自身の習慣を変えないと結果が変わるわけないだろう、、、って思っていました。

今、自分自身にもなれない人が何者かになれるわけない

どこかでそんなプロモーションの片棒を担いだことを書きましたが、僕が怒りを感じるのは、

自分自身にもなれていない人に対して、あなたは何者にもなれるんです、なりたい自分になれるんです

というプロモーションを見かけることと、そういうものを許容する世の中の空気に対してです。

木坂さんだったと思いますが、何かのレターで、「愚か者が愚か者を生み出している」だったかな、そんな言葉を書いていたいのですが、

これ見た瞬間に、オレのことだ、と思いました。

何者かになりたいと思っている人たちがいて、それを応援したい自分もいる。

でも一方で、その必然性ってないんじゃないかと感じている自分もいる。

しかしそもそも、自分がどこに行きたくて、それはなぜなのかを言えないのであれば、頑張れとしか言いようがないんですよね、本来。

自分自身になれない人が、ほかの何者かになれるわけがない。

そういう事をわかっているにもかかわらず、あなたは変われるんですなんていうのは確信犯だし詐欺師だと僕は思う。

「それでも人生変わる人もいるんだから」と人は言うけれど、ホントなのかな??っていつも思っていました。

だって、少なくとも僕の周りでは、自分が何者かを知っていて、行動し続けた人だけが、人生を変えていたのですから。

ピーターパンはいらない

フィンランドの教育を知って驚いたのは、「何者にもなれますよ」という教育をしない、ということでした。

子どもの頃から自分自身を知り、それを伸ばしていく教育をしていくそうですから、何者にもなれるなんて必要がないってことなのだろうと思います。

今の自分自身を知り、それを全うすることを放棄して、オレはいつか何者かになれるんだ、なんて、、、

僕もそういうところがあるから一概に否定したくはないですが、いい年した30代40代の大人が「いつかオレも」なんて、子どもにはあまり見せたくありません。

特に行動も伴わないのであればなおさら。

男は黙って実行のほうがよほどいい。

僕の気のせい、被害妄想のなせる業かもしれませんが、そういう人を生み出しているのはオレもなんじゃないかって思っちゃうんですよね。

だから、何かを教えたりするのをやめて、自分を知っている人の商品開発やコンセプト開発、ビジネスをしかるべきことのために成長していくことに集中しようと考えました。

日刊ブログやメルマガをやめた理由は、そういう経緯でもあります。

僕の文章力では、意図通りに読んでもらうことはできません。

これを認めるのは悔しいし、とても残念なのだけれども。

自分自身を全うする人とだけ、僕は付き合いたい

僕自身は何者かになりたいと思ったことはなく、自分自身の内なる声に従う人間になりたいと思っています。

ですから付き合うならば、そういう人と付き合いたい。

であればそういうメッセージが必要だろうと考え、今日はこれを書いています。

『引き算の卓越』の方でも書いてきたつもりでしたが、「小野さん、人の目を気にしていることがうかがえますよ」と看破されまして、そうなんです、人の目を気にした結果、主張がボケちゃうんですよね。

でも、僕は自分自身を全うする人でありたいと思いますし、それを軽やかに、誰の顔色も窺うことなく、窺われることもなく、自分自身を全うする人たちがそれぞれの卓越性を発揮する世の中をつくりだすことができたら、どんなにステキで毎日がエキサイティングなんじゃないかって思うのです。

満員電車だって乗るのが楽しくなるでしょうし、世界の国々で、訪れる街のすべてで自分自身を全うする人たちで染まっていたら、、、

暮らしているだけでエネルギーに充ちる、そんな人間関係を考えると、胸の高鳴りは上昇し続けてしまいます。

自分自身を全うする人に、ビート・ザ・コントロールする資格がある

ビート・ザ・コントロールというのを、オリジナルコピーよりも成約率で上回ること、という本来の意味とともに、自分自身の人生を生きる、という意味も込めて会社名にしたわけですが、

ビート・ザ・コントロールするためには資格が必要で、その資格のひとつに自分自身を全うすることがあります。

ないものねだりをせず、常に自分自身である。

そういう人たちやモノ、コトとの出会いを、そういう人たちやモノ、コトを世の中に伝えていくための仕事を、今のところ『引き算の卓越』では書いていき、案内していこうと考えています。

こんな僕、会社のミッションに共感する人と『引き算の卓越』でもお付き合いさせてください

ビート・ザ・コントロール株式会社のミッション、存在意義は、

顔色を窺わず、顔色を窺われることもなく、ひとりひとりの人間が卓越性を発揮する世界、コミュニティをつくりだす

であり、僕はそれを難聴を含む卓説性で実現します。

こんな僕、会社に興味があれば、『引き算の卓越』をお楽しみください。

メルマガはこちらから登録できますので。

長い文章にお付き合いくださり、ありがとうございました!

小野貴正

P.S.

蛇足であることを願いつつ、、、自分自身であるというのは、今の自分のままでいいというわけでは決してありません。自分自身の卓越性というか徳というか、そういうものを知り、それを磨き続けることを、肉体的には死ぬ瞬間までやる、ということです。

One Reply to “ピーターパン症候群。”

  1. 毎度どうも。失礼します。

    # どうも心境に変化があったようなので、しばしコメントは控えて静観しておりました。


    一つ確かそうなことは、やりたくないことをやらない自由を手に入れることができた、ということでしょうか。川野さんが言われているように、人生の「次のステージ」に行けた、ことについて、素直におめでとう、です。

    私はもういつ死んでも(何かの病気でいつ余命宣告されても)おかしくない年齢だと思ってます。やりたいことがある(見つかった)ならば、できる間に、チャンスがあるならば、できるだけやっておいた方がいい、と思うのは持論です。これから時が進めば進むほどできるようになる事よりもできなくなる事の方が増えてくるのはたぶん確実なので、やりたいことをやるために、やりたくないことをやらないで済む自由が手に入ったのならばきっとチャンスだと思います。本当に自分のやりたいことが卓越されたものであれば信頼と責任とお金は後から勝手についてくると信じて生きてます。私は死ぬまでにできることをできるだけやって生きて死んでみます。

    「自分自身」について、「情報・知識(の質)」については、いろいろ思う事は多く、(小野くんやコミュニティの方にとって多少なりとも役立つ情報を提供できるとは思うので)また機会があれば、引き算の方で(迷惑にならない程度に)コメントさせてください。

    でわ。また。

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