続いている、続いていく関係性。

台北で茶葉問屋を営むご主人から、メッセージを貰いました。

今天的大阪地震讓人擔心,你們沒問題吧!我們很擔心,希望你們一切平安,多注意餘震,真的小心…

東日本、熊本、そして台南での地震。日本と台湾の関係性が友好なものであることを、地震の時に感じる人はいらっしゃると思います。

こうしてメッセージを頂いたりすると、ちょっとコレはその気持ちに応えたいな、となりまして、一人勝手に目頭熱くなっています。ええ、涙ぐんでいたりするわけです。

台北の迪化街にある茶葉問屋さんには、2回訪れたことがあり、その時に梨山の烏龍茶を購入しました。

冬の間は毎日梨山のお茶をつくって飲むことが楽しみでして、この間コーヒーの消費量が激減し、というかコーヒーを飲まなくなり、すっかり台湾茶の世界、というか梨山のお茶の世界に行っていました。

台北でウマい食堂を教えてくれたのもこのご主人で、ひとり歩いてその食堂に行き、相席した若い男性が食べているものを指さしていただいた鶏料理と麺料理、そして後ろでおじいちゃんが食べていた油飯はまた食べに行きたくなるほどの味。

一人で飯をかっ喰らうならココ、というような食堂ですが、まさに地域の食堂という感じでひっきりなしでおじいちゃんおばあちゃんがやってきます。

台湾の食べログなんかにもこのお店は登場したりするわけですが、そういえば食べログの評価って僕はアテにならないと考えていて、だってその評価した人の味の好みもあるでしょうし、雰囲気の好みもあるでしょうし、その時の気分だってある。

気分は、お客さんと店員さんの双方にあり、食材によってもいいときそうでないときあるでしょう。

結局のところ、知らない他者の評価というのは当てにならず、この人はという人の評価こそ当てにできるものなんですよね。ちなみに食べログの評価、高かったような。

それで、このご主人というのは人懐こい微笑みをくれて、お店に訪れるとお茶をガンガン開けて、お茶に応じてお湯の温度を調節し、香りが立ってウマいお茶を飲ませてくれるのです。

奥さんが朝食に食べていたハンバーガーを出前で注文してごちそうしてくれたこともあり、印象に残る茶葉問屋さんではありますが、なぜここまで親切なんだろう、というのはよく考えます。

今回のメッセージもそう。エラいたくさんお客さんが訪れて、それは日本人だけではなく、地元の人も行くのでしょう。

メッセンジャーという個別のメッセージ送信手段で、わざわざ連絡をくれたのはなぜなのか。考える機会になりました。

ひとつ思うのは、このご主人に限らず、タクシーの運転手でもホテルのスタッフでも、ほかのレストランでも、まあ台北の空港に着陸してから離陸するまで、街から日本人への愛情を感じないときはない、というものでした。

トルコのサフランボルやカッパドキアでそこに住む人たち、修学旅行で訪れた子どもたちから感じたような、日本人への愛情…大切なお隣さん的な雰囲気を、台北でも感じることができます。

国外に出たとき、また国外に出なくて東京にいても、日本人だからと安心して接してくる外国人もいます。

コレ、日本人の先輩たちがつくってきた関係性でもあるんですよね。

自分とは何者なのか?

という問いへの解は、自分自身を見つめることでは得られないと思っていて、もうちょっと抽象度を高め、両親、親族、故郷、のように見ていく必要があると思っています。

台湾からのメッセージで、そんなことを思いました。

続いている、続いていく関係性に感謝です。

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One Reply to “続いている、続いていく関係性。”

  1. 毎度どうも。

    自分とは何者なのか?という問いへの解は、自分自身を見つめることでは得られない

    つい、反応してしまいました。グレートジャーニーや自分という器クラスなど小野君にとっても考え続けられているテーマだと思うのですが、最近の話題的には、MPSのMeに関連して、セールスライティングにも、リストよりも前にセールスライティング全体に影響を与える部分なのでは?と素人なりに想像しています。

    一つ、思考を掘り下げる、あるいは、言語化のお手伝いをさせてください。

    私の色眼鏡を通して、小野君の言葉を言い換えると、

    「自分」というものは「環境」あるいは「他者」との相互作用を通じた歴史性を含む

    という視点を持っているのではないでしょうか。と言いますのも、時折ブログに登場するように、他者との継続的な関係性、他者からの視点、他者からの評価、他者と一緒に行動することを大事にする、といった視点からも想像できます。

    関係性や相互作用という言葉は意味が広いので、もしこの視点に共感していただけるならさらに掘り下げてみていただければと思います。もし見当違いならどうぞ忘れてください。単なる友好関係から、生物学的な遺伝的関係、言葉や文化や知識の継承、癖や習慣の真似、また単に人間同士の関係性だけではなく、土地や建物や風景を通して得た知識や感動、などなどいろいろ想像できます。

    極端な例を挙げてみますと、
    今日このブログを読んだことの影響でこの「自分」というものの性質がほんの少し更新され、明日はその「自分」がまた更新されていく、というように、例えば、考えることができます。このブログを読んだという歴史の上に今の「自分」が存在する、とも言える、かもしれません。逆に、間接的には(ブログを通して)小野君との関係性なしに今この「自分」はこの世界線?には存在しない、とも言える、かもしれません。

    # このような歴史性の問題は実は生物学の分野でも進化や発生の問題と絡んで未だ議論中です。

    抽象度を高める、というよりは、このような場合、メタな視点、という言葉を私は好んで使います。自分を含めた世界全体を自分で眺めるような視点です。

    いつか何かのご参考までに。

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