マンツーマンで行っているビーコンコーチングから、僕は自分自身をより客観的に眺められるというか、より自分自身の価値を眺められるようになっています。
こう言ってしまうと恐縮なのですが、たぶん僕の話を聞く人以上に、僕自身にとっての学びになっている。
自分自身では自分を振り返ることを主観的にも客観的にも、特に客観的にはなかなかできないものだと考えているのですが、ある人から質問されることで自分自身で自分を主観的にも客観的にも見つめ、眺めざるを得なくなる。
この結果、ああ今までは無意識でやっていたのだけれども、意識的に言語化してみれば、これは再現性のあることをやっていたんだなぁ、という気付きがある。
今日、北海道の長谷川さんから「ブログに書かれていた呼吸を合わせること」について質問を受け、かいつまむとこんな回答をしました。
僕は無意識でこれをやっているのですが、リズムというかペースというか、市場、読み手と呼吸を合わせています。
野球で呼吸を合わせた話のほか、ブライダルのDVDを作成する仕事でも、「その披露宴に参加する人がどんなペースで呼吸をするのか」を想像しながら、文章を登場させるタイミングを変えていました。
無意識で呼吸をするかのように淡々と一定のペースで文章を登場させたとおもいきや、注目させたいところではリズムを0.5秒とかズラす。すると、人は「あれ、リズムが変わった」と無意識で感じるみたいで、自然と前のめりになるんですよね。
(補足:もちろん、ストーリーそのものが惹きつけられるもの、役立つものでなければなりませんが)
僕はよく、自分自身に対して書くことを勧めていますが、これは主観的に独りよがりなペルソナ設定を勧めているわけではありません。
披露宴で流すDVD映像の例で言えば、その新郎新婦の披露宴に「僕自分が参加しているかのように」想像しているわけであり、根拠の無い想像ではないのです。
これを、セールスレターを書くときにも僕は無意識で行っています。
もちろん、意識してやり続けたからこそ無意識でできるようになったわけですが、だからこそ量を書くことが必要なんですよね。
(補足:実戦で書かないと、僕の経験上は量を書いても成果が出るかどうかなんともいえません)
こう書いてしまうと、「小野さんだからできるんですよね」、という話になりがちなのですが、これは断言してもいいですけど、誰でもできます。僕がこうして長谷川さんの質問を受け、意識してこう言語化できていることからもわかるとおり、後天的に意識して身につけたからこそ、言語化することができる。本当に無意識で行う先天的なものだとしたら、僕自身言語家できない可能性もあるでしょう。
(補足:仮に先天的なものであった場合、比較検討という方法を取れば、自分の無意識を意識化して言語にすることはできるかもしれませんが)
「小野さんだからできるんですよね」というのは、こう言ってしまうと厳しい言い方かもしれないですけど、やらない言い訳に過ぎない。本当はそんなことをやる必要性、必然性がないから、やめる理由を探しているだけなんですよね。
やめる理由を探しているだけというと、人によっては「そんなことありません」と言いますけど、「そんなことありません」と言う前に、今ここの自分自身を、現在地点の自分自身を認識する必要がある。
ペルソナ設定の仕方がわからない。
どう書いていいかわからない。
セールスライティングをしていると、いろいろな疑問や質問が出てくるものですが、そのたびに「それって本当かな」と僕は考えるようにしています。
ペルソナ設定の仕方がわからない、どう書いていいかわからない、こういう疑問や質問でさえも、一歩間違えるとやらない言い訳になる。
呼吸を合わせるというのは、市場と呼吸を合わせるということ。市場をリサーチしないとならないですよね、ってことでもあるんですよね。
セールスコピー、セールスライティングを学ぶと、これはダン・ケネディとかダイレクト出版さんの功罪だと思いますが、どうしてもテクニックとか目立つ方に焦点が当たりがちです。
しかし、ダン・ケネディがなぜ今でも『スパイ・ダンケネディ・コピー』なんてものをやっているかというと、あれは写経とかブログと同じで、やり続けることが大事だということを、本人がわかっている証拠でもありますよね。僕はそう思っています。
書き手とも呼吸を合わせてみてもらえると。なぜそれをやっているのか?ですね。
フット・イン・ザ・ドア・テクニックというのも、小さいお願いをされたら大きいお願いにノーと言いにくくなることを、僕らは普段の生活から経験してるわけです。それに「フット・イン・ザ・ドア・テクニック」という名詞が付加されたに過ぎない。もともと、そういうテクニックはあるわけですし、僕らはそれを経験している。
だから、テクニックを学ぶ必要はなくて、経験を思い出して言語化すればいいと思うんですよね。テクニックよりも、読みやすい文章、わかりやすい文章を書くことのほうが、よほど大事だと思います。
他にもいろいろと回答しましたが、話しながら、また聞きながら感じるのは、質問のおかげで僕は僕自身に気づくことができるということなんですよね。
そういう意味でも、人とのコミュニケーションは大事だなぁ、と。
リズム、ペース、呼吸を意識して、その人と、市場とあわせてみてくださると。
そして量を書くようにすれば、自ずと「そう成っていた」に気づくと思いますから。
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