「自分」という乗り物から出たり入ったり

ひとりごと
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お楽しみ様です。小野貴正です。

ビーコンコーチングのオーナーさんに、実戦でのトレーニング課題を提供準備していたところ、あるオーナーさんがその予習を始めていることを知り、オンラインでの勉強会を開催しようかな、というアイデアが出ました。

コレまで「セミナーとか勉強会を開催したい」という意見を聞いていたものの、セミナーや勉強会ということは僕がやるものだよな、と思っていたので二の足を踏んでいたのですが、

そのオーナーさんが予習している様子を見て、ふと思ったんですよね。勉強会は僕から切り離してもできるんだな、って。

僕はある物事やアイデアを考える時、そこに「自分ならこうする」という自分という脳や身体を無意識のウチに考えています。

すると自分ではそこに客観性を見出しているようでも、実は客観的ではない。例えばですが、あるビジネスアイデアを第三者にプレゼンテーションする場合、

クライアントさん:
「では、小野さんのアイデアを教えてくださいますか?」

と聞かれたら

小野:
「はい、私のアイデアは・・・」

と答えます。「私の」と普通につける。僕はここにアンカリングしてしまう感じを受けるんです。「私の」「自分の」という言葉をつけることで、我を入れてしまう。

こうすると客観的とはいえない、と今の僕は考えています。そして「自分の」に固執することで、僕の場合は僕がそこから離れられないという状況を生み出してしまう。

状況は常に先行しますから、その状況に入ってしまうと我を捨てきれない。我がジャマをする。他者にやってもらったほうがいいとわかっているのに、それができなくなる。

もちろん自分という乗り物に乗ることもあるでしょうが、僕という存在、意識になるのか意志になるのか魂になるのかは言葉に出来ないのですが、僕が成し遂げる価値観、コア・バリュー、マスタープランというのは、自分という乗り物からは自由なはずなんですよね。

自分という乗り物がなくても、それらは達成できるので。

それで昨日、ビーコンコーチングのオンラインコミュニティの書き込みを眺めていたら、オーナーさんにオンラインでの勉強会を開催してもらおう、と考えたわけです。

僕も書く側として学ぶ。そしてアウトプットする。

勉強会でオーナーさんが教えることの利点は、学びの効果が定着、持続することです。教えるオーナーさんは学びの効果が定着するしコンテンツを持てるのでうれしい、学ぶオーナーさんも書き方がわかるからうれしい、僕はコミュニティのステージが上がればうれしい、という感じでWIN-WINです。

自分という乗り物から出たり入ったりするという感覚。コレは考えるにあたり役立ちそうな表現だな、と。

ふと気づいたので、記しておきます。

P.S.
タイムドメインの音を1日中聞いているのですが、音源次第でいい音にもそうでない音にもなるという構造は、なんとなくですが感じます。自然の音というのはこういうものかと。だから脳と身体がとろけてくる感覚になるんですかね〜。穏やかになります。

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