現在、名古屋の・・・どこかにいます。地名はわからないのですが、教えてもらった喫茶店、というよりもカフェかな、ここはホテルに近いので、チェックイン前に立ち寄ってみました。
2階に上がると目についたのは木目が鮮やかなサーフボード。
頬ずりしたくなるような滑らかさによだれを垂らしつつ、現在これを書いています。
先ほどまで財津さんと一緒におりまして、なんでか名古屋まで一緒に行き、駅で味噌かつとかどて煮を食べて、Uターンで博多に帰りました。というよりも、帰る途中ですね。今頃は、大阪神戸を越えて姫路のあたりでしょうか。
1年間よりも2年間、その分だけ多くの人を見ているわけですから、どんな人がうまくいくか、またそうでないかは1年前や2年前に比べたら感じるようになってきました。
財津さんに伝えた通り、僕の予想を裏切ってくれればいいのですが、僕の視点からするとそういう人はなかなかいない。
もちろん、その人本人の視点からすると、それで人生うまくいっていると考えている可能性もありますから、僕がどうこう考えたり言ったりする話でもないのですが。
それでもその人が身近である場合、どうしても「そっちじゃないよ」と言いたくなることもある。
なかなか、もどかしいものです。コミュニケーション不能になっている、というのは。
以前も書いたと思うのですが、うまくいく人というのは素直に聞いて素直に行動していることが多く、うまくいかない人というのは自分の解釈で聞いて自分の解釈で行動している事が多いと感じています。
力量じゃない。仮にライティングスキルが高くたって素直でなければうまくいかない。
最初は素直に聞いて素直に行動していても、3ヶ月とか半年経って、「本当にそうなのだろうか」と思ってしまい、自分の解釈を入れてしまう人もいますが、これも同様です。素直さから遠ざかってしまうと、やっぱり理想の一日からも遠ざかってしまいます。
特に生き方を変えるような選択をした場合、脳へかかる負荷はとても大きいものになると思いますから、現状維持へと戻ろうとする脳の働きは普通ですし、3日経ってやっぱり今のままがいいや、もまた普通でしょう。
だからこそ、誰と一緒に居続けるかが大切、ということです(もちろんその前に、何のために、ですね)。
セールスコピーを勉強される方なら人間の意志がどれほど強くはないかご存知かもしれませんし、3日坊主に代表される言葉からも、それはそうだろうと思われるかもしれません。
一人ではもとに戻ろうとする力に抗えないものですから、誰かと一緒に居続けることで、それができるようになることもあるでしょう。
この人はと決めたら、その人だけを見て行動し続けることがとても大切。
いわゆる「師」は「お弟子さん」が知っている以上にモノごとを知っていますし、「お弟子さん」のステージに応じてまた、「師」から伝わることも増えていくものですから。
僕の経験上、これは大切な真実なんですよね。
コメント
僕もこれ全く同意見でいろんなところで声高らかに言ってますが、わりとこの声は届かないようです。
そうおっしゃっていましたね。
「声が届いていない」、という認識もないのかなぁ、と思ったりします。
3つのNOTを超えるために、よりマッチョに鍛錬します。