昨日は渋谷のヒカリエへ。ドラゴンクエストミュージアムなるものが開催されており、ワイルドサイドの島田さんと伊藤カンちゃん、中平さんと一緒に行ってきました。
ドラクエといえば1986年に発売されたものが「1」だったようで、1986年かどうかは覚えていませんでしたが、僕はこれを発売日に購入した記憶があります。あれ、発売日は「2」だったかな。まぁ、いずれにせよ、結構前からやっていた、ということで。
入場する前までは「5」が好きとか「2」が好きとか、そういえばファイナルファンタジーだと「3」とか「4」とか「5」とか、そんな話をしていましたが、よくそんなことまで覚えているなぁ、と感心。
僕はドラクエは6か7まで、ファイナルファンタジーは10までやっていますが、ストーリーや登場人物をだいたい覚えているのは半分程度、ドラクエに至っては、1から3までです、覚えているのは。
会場に入るとドラゴンクエストをやったことがある人なら「おお!このシーンね」と思い出せる絵が飾ってあったり、ジオラマが飾ってあったり、体験型のゲームがあったりと、個人的にはもう興奮しまくりの空間だったのですが、
ふと島田さんが、
「小さいころ好きだったことに、自分のコアがあったりしますよね」
のようなことを話してくれました。確か、こんな感じのことを言ってくれた後に、
「だから今日は、それをたどりに来てもらったんです」
あれ、こんな感じだったかな。こんなカッコいいこと、しまだしんすけべが言うかなぁ、まあ、いいや。
実際、こんなことを思い出していました。
お世話になった前職で、ブライダルのDVDをつくっていた時があったのですが、その時にいわゆるエンドロールにストーリーをつけて、観る人が感激してしまう商品を提供していました。
エンドロール、披露宴の場合は参加者のお名前とか写真が流れるやつですね、あれが流れると「もう結婚式も終わりか〜」となるものですが、
その会社でつくっていたエンドロールは、名前が流れて終わりか〜と思った後に、もうひと押しストーリーが流れます。
新郎が新婦との生活をどうしていきたいか、未来を語るストーリーなんですけど、エンドロールの前には結婚に至った過去が語られるので、過去(エンドロール前ストーリー)・現在(エンドロールで出席者一覧)・未来(エンドロール後ストーリー)が全て最後の最後で登場し、参加者を何とも言えない高揚感に包んでいたようです。
顔を高潮させたり、涙をながす人が実際多かったみたいですから。
それで昨日までは、なぜそんな構成を考えられたのですか?と聞かれると、「ドラマの高校教師や振り返れば奴がいるを参考にしました」と話していました。エンドロールの後に、もうひと押しあるんです。これらだけに限りませんが、僕が学生の頃好きだったドラマがこれらだったので、よく覚えていました。
しかし昨日、ああ、オレはドラクエの英雄ストーリーが好きで、これを参考にエンドロールをつくっていたのかもしれない、と感じました。そして、世界をめぐること、移動し続ける自分であることもそう。
ドラゴンクエストもファイナルファンタジーも、最後は未来へ向けての希望というか期待というか、そういう高まりを感じさせるようにして幕を閉じます(と僕は思う)し、移動し続けるんですよね、そこに山があるから登り続けるんだ、とでも言いたいかのように。
だからなんで結婚式の最後に未来を語るのか、理想の一日で移動し続ける自分で在るのかを考えると、1986年から親しみはじめたドラゴンクエストに一つの解があるんだろうなぁ、と。そう思いました。
コア・バリューとか価値観を書き出すことを僕は勧めていますが、これ、潜在意識と関する話でもあると思うので、意識的に考えるだけだとうまくいかないかもしれません。
だからこそLicense to beatの自分という器クラスでは、グループディスカッションを行い、初めての経験をし、初めての人と会う、といったことをやっているのですが、
もうひとつ、オススメしたいのが「自分が子供の頃に好きだった、夢中になったことを体感する」。
自分のなかに在るコアな何かは、こういう時に気づくこともありますよね、ってことで。
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