お楽しみ様です。小野貴正です。
茨城県のつくばみらい市まで行ってきました。母方のお墓参りをするためです。母は両親を早くに亡くしたこともあり、30年くらい親族とも疎遠だったようなのですが・・・僕自身思うことがあり、行ってきた次第です。
9時ころにはつくばみらい市に到着し、お寺に行ってお塔婆をいただいてきました。その時、永代供養をする必要性とかお経をあげてもらう必要性とか、わからないことを色々聞いてみたのですが、
その時に住職さんの奥さんがおもしろいことを言っていました。
「併設されている保育園の子どもたちにも同じことを言っているのですが、ご先祖様あっての自分なんですよね」
こんな感じです。ご先祖様あっての自分。まさに、そうなんですよね。
僕の長男次男は妻と僕がいなければこの世に誕生しないわけですし、妻と僕もそれぞれの両親がいなければ誕生しないわけです。
ということはつまり、ご先祖様あっての僕であり、ご先祖様あっての息子たちということ。この言葉が意外にも心にすっと入り、今でも残っています。
島田さんが「ルーツ」という言葉を僕に教えてくれ、高城さんは出雲大社の御札を長期旅の時には携帯していると知りました(モバイル神棚というのがあり、それも携帯している模様です)。
神社も母方のお寺も、僕にとってはルーツなんですよね。僕がここに在るために必要なライン。それらを大事にするのは、確かに当たり前だろうと。
ご先祖様がお墓参りに来なさいと言っているよ〜のような話をたまたま聞いたのも、何かの縁なんだろうな、と思います。実際、お墓に行ってお塔婆を置き、お線香を焚いて母の両親やご先祖様に手を合わせたら、気持ちがスッと軽くなりました。たぶんずっと、何らかのモヤモヤがあったのだろうな、と気づきます。
母も僕が言い出したことをキッカケに、お墓参りができて気持ちがラクになったようです。たぶん、必要な儀式だったんじゃないかなって思います。
思いのほか、本家の方々もいい人で、来年のゴールデンウィークには田植えの手伝いをさせてくれそうな話をしてきました。米作りには今関心があるので、来年のお墓参り時にお手伝いできればいいな、と思います。
後はタイに帰った時、妻のご先祖様にも手を合わせてこようかな、と。この点タイは仏教ですから、いろいろ馴染みやすくて安心です。
なんとなくですが・・・人の先祖が違うように、生まれ育った環境も人って違うわけですから、
みな違って当たり前というか、違っていいわけです。
コア・バリューやマスタープランも、世の中に貢献できる価値も違って当たり前なんですよね。環境が価値観を形成し、提供できる価値を生み出すので。
「ルーツ」を大事にする。なかなか気恥ずかしい感じはあったのですが、僕も御札を出張用に用意しておこうかな、と思います。
伊勢神宮かどこかで、いただいてもいいですね。
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