チェンマイにいます。バンコクから北に700キロの位置にあるこの街は、15年前にバックパック持って暮らしていたときに、今の僕をつくる言葉がおりてきた街でもあります。
現在、タイ時間で21:45、日本時間で23:45ですね、僕は外国人料金に断固ノーと叫ぶために一人でナイトサファリ入り口でこれを書いておりまして、妻や長男次男は車に乗ってナイトサファリを楽しんでいるっぽいです。
さて、チェンマイ。
ここまで今回は車でやってきました。妻の友だちが車を出してくれたためです。距離的には東京岡山間程度ですから僕も運転したことがある距離ですが、彼女が全行程を運転してくれたのには頭が下がります。
もうすぐでチェンマイ、という道路でふと思い出したことは、この道をバンコクに向かう時、あの言葉が降りてきたんだったな、ということです。
その時は深夜バスでバンコクへ向かう時でして、多分チェンマイのバスターミナルを出てから2時間も経っていなかったと思います。
再度チェンマイに行ってまで会いたかった女性とは会えず、電話で一言二言交わすだけのチェンマイ行きは、僕にとってかなりのインパクトがありました。
深夜バスの最前列に座り、2階席ゆえに僕の目の前には曲がりくねるワインディングロードがヘッドライトに照らされて、その道を右へ左へとバスはエンジンを回して唸るように進んでいきます。
脚を前方の窓ガラスの方へと投げ出し、対向車線のヘッドライトに目を奪われながら、彼女に会えない無念感と電話をすることができた達成感とが混ざったなんとも言えない気分のなかで浮かんできたのはこんな言葉でした。
そうか。オレの前に道はなくて、オレの後ろにだけ道はできているんだ。
バンコクから再びチェンマイにやってくるという選択をしなければ、彼女に会う可能性はおろか電話で声を聞く可能性さえもなかった。
音楽に惹かれて飲めもしないのにバービアに入り、フレンチフライを頼むなんてことがなかったら、再びチェンマイに行こうという選択だってしなかった。
定められたレールの上を走るという表現があるけれど、そもそも定められたレールはない。
自分の選択がレールをつくるんであって、だから振り返ってみれば道ができている。
ヨーロッパでは毎日時刻表片手に電車に乗ったけれど、ブリュッセル発のあの電車に乗る選択をしたからこそストライキに遭遇したんであって、ストライキに遭遇したからこそ、ブリュッセルのタクシードライバーと出会い、いい思いをすることができた。
自分のなかから湧き出てくる違和感にフタをせず時には勇気をもってその違和感に飛び込む。それが、こんなにも人に恵まれた旅になった。
ある意味、今の僕をつくるルーツです。チェンマイの道は。
かつての道を通ってみると、引き出しが開きます。
ルーツを思い出す、いい道のりでした。
P.S.
ちなみにバンコク到着後、エンポリウムというデパートで買い物をする選択をした結果、恋に落ちるのです 笑。
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