日本にいるなら知っておきたい参拝作法。

License to beat
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本日の自分という器クラスは歴史をテーマにイントロダクション。

バックパック持ってトルコを歩いていた時、サフランボルという街で中学生の皆さんから、トルコと日本の歴史について学びました。

このとき、知ってはいたけれど現実的に歴史の二面性、多面性があることを目の当たりにしたのは驚きでして、それ以来トルコと日本の話、タイと日本の話を伝える機会があれば紹介するようにしています。

歴史には二面性があること、両極から眺めたほうがいいということ、そして自分自身も歴史を持っていますよね、ということ。

自分自身については自分自身で眺める自分、そして他者から眺められる自分自身というのがありまして、全て自分を形づくるものとして置いておくといい。

そんな話を、圧倒性、自分の土俵をつくる、というテーマから続いて展開していきました。

イントロダクションとしての近況報告と歴史に関する僕の所管を共有したあと、向かった場所は熱田神宮。

ここには三種の神器のひとつである草薙の剣が奉納されておりまして、歴史というテーマ並びでクラシカルというか、トラディショナルというか、そういう日本の伝統的な文化にも触れておこうと考えた次第。

初詣などで神社に行く人はいると思いますが、神社というのは僕ら個人個人がどういう信仰を持とうとも、海外から来る方々からすると、日本文化を発現する場として見ているもの。

観光に神社に来られる外国の方も大勢いるのですから、神社における作法・・・手水舎(てみずや/てみずしゃ/ちょうずや/ちょうずしゃ)での作法と拝殿などで行う主に二拝二拍手一拝の参拝作法ですね、コレは日本の祖先をルーツにもつ僕らはきちんと身につけておいてほしい、と願うばかりでして、出しゃばりであることには恐縮しつつ、お伝えしました。

手水舎では軽く会釈(一揖:いちゆう、といいます)したあとで柄杓を右手で取り、そのまま水をすくって左手を清め、その後は柄杓を左手に移し右手を清め、そして再度柄杓を右手に移したあとは左手をすぼめて柄杓の水を注ぎ、口をゆすいで清め、口の前を左手で覆うようにしてそっと水を吐き出す。

再度左手に水を注いで清め、最後にその柄杓を縦にして左手は右手付近に添え、残りの水を柄にかけて洗い、元の位置にそっと置く。

そして再度軽く会釈して(一揖ですね)、手水舎での作法は完了になります。

拝殿などで行う二拝二拍手一拝も解説し(ここでは省略しますね)、拍手の際に音を出す時の手の位置とかをお話したのですが、皆さんからの反応が最もよかったのは、正中作法(せいちゅうさほう)のところ。

神社においては参道の中央や拝殿の中央など、ここを正中と呼びまして神さまの通り道とされています。

ですから基本的には中央は開けておくことが大切でして、正中の左側で参拝するのか、右側で参拝するのかにより、足の動きが違ってきます。

そんな解説をしておりますと、皆さんの顔つきが興味津々になってきまして、なかでも「正中におしりを向けないようにして足を運ぶんです」にはピンときたようで、

祖父から続いている神社の一族として、なんだかうれしくなりました。

個々人がどう思おうと、日本人である以上、そういう風に見られるもの。

そういう立ち居振る舞いをしてほしいという願いが叶ったひとときでした。

ぜひご家族、お子様たちに伝えてくだされば。こういう作法も、僕らのルーツですから。

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コメント

  1. より:

    ためになります。たぶん、作法の中に日本古来の文化が隠されている(受け継がれている)のだろうと想像します。結婚式では神前式が多く、葬式が仏式が多い、という日本の独特の習慣にも実は興味があるところです。ここら辺「和」の精神と関係しているような気がしています(私見です)。輪廻とか因果応報とか刹那など自然科学に近い概念が仏教にはあるのですが、仏教は「仏陀の教え」と書きキリスト教のように教えを始めた人がいるのに対し、神道は「神の道」と書いて、空手道、剣道、柔道のように「○○道」と書くので何か人々の生活の中で自然と築き上げられてきたもの、というイメージが強いです(不勉強なので個人的イメージです)。こういう始め(起源、原因など)がはっきりしないものは自然科学と結びつきにくいのですが、むしろそこにこそ日本のルーツがあってまだ誰も気がついていない自然科学のブレークスルーが眠っているような気がしています(私見です)。

    いつか何かのご参考までに。

    • ono takamasa より:

      ありがとうございます。

      結婚式とお葬式の話、僕は意識していませんでしたが、
      神職養成講座では神仏習合というものを学びましたので、
      その影響もあるのかな、とふと感じました。

      「道」のイメージ、なるほどと思いました。
      森羅万象に神が宿る、という考え方が神道なので、
      人の成すこともまた、神が宿るから「道」なのかもしれません。

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