たぶんためになる参拝作法と仕事の作法。

成功法則
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「お墓を自分のカラダだと思ってください。カラダにコケや汚れがついています。そのままで小野さんはうれしいですか?」

お墓参りの作法を質問した時、こんな答えが返ってきまして、コレには膝を打ちました。なるほど、わかりやすい。僕なら、コケびっしりはイヤだなぁ、、、というわけで、2回目のお墓参りとお墓清めを先日行ってきました。

お墓参りでも神社への参拝でも、「自分だったらどうされたらうれしいか?」を考えることは、役に立つ問いかけだと考えています。

例えば神社へ参拝に行く場合、割と多くの人が自分の名前と所在地、願い事を伝えると思います。そしてそういうふうにしたほうがいいですよ、と本か何かにも書いてあるのだと思います。僕はインターネット上でそういう参拝のやり方を見たことがありました。

しかし、逆の立場で考えてみる。僕が神さまであったら、どうされたらうれしいであろうか、と。たぶんなんですけど、「こんな願い事を叶えてください」ばかりだったらうんざりすると思うんですよね。。。

日本神話に登場する八百万の神さまたちは、ふてくされて洞窟にこもったり、暴れてウンチを撒き散らしたりする神々ですよ?食事の出し方がけしからんと首をはねる神さまもいます。

思うにかなり人間くさくて、人間のような性質を持っている。

だから僕の場合は、自分の願い事を一方的に伝えるというのはほとんどありません。思考と思考のハザマに入って拝むか、神さまご先祖さまの穏やかさ健やかさを祈願する事がほとんどです。

コレがためになる参拝作法がどうかはわかりませんが、まず与えなさい、を信じる方々にとっては説得力の在る作法じゃないかとも思います。

ちなみにコレも私見ですが、まず与えなさい、を実行する場合、見返りを秘めていたらよろしくありません。

自分の前にうやうやしい態度の方がやってきました。しかしどこか不自然で、見返りを求める雰囲気を発しています。そして、「ダンナ、荷物持ちましょうか?」とやってきます。そういう文化に慣れている人はいいですが、僕は慣れていません。だから、「あ、この人はお金目当てで親切にしようとしているんだな」と察すると、警戒します。

だから、個人的にはですけれど、見返りを求めないでただ神さまやご先祖さまに日頃の感謝をする、というお礼が先にくるほうがいいんじゃないかな、って思うんですよね。

私見たっぷりですが、ためになる参拝作法、ということで。

話は戻ってお墓参り。

先日2回目のお墓参りではタオルやタワシを持ち、墓石はタオルで洗い、コケがびっしりの台座はタワシでゴッシゴッシと洗ってきました。

しかし、1時間たってもできたのは4分の1程度で、制限時間ギリギリの1時間30分使っても半分のコケを洗い流すのが精一杯。

というわけで、またきます、と手を合わせて3回目のお墓参りを10月に行うことにしました。

今度こそ、キレイにしたいなぁ、と思いつつ、高知まで行く理由になるのは、いいことかもしれませんね。

あーそうそう。

仕事でも、「無料でやります」というアプローチは正解だと思っています。しかしそこに下心が見え隠れすると、相手は警戒するものです。

だから個人的には、あらかじめ無料でやる理由を伝えておく。そして、この人ならば本当に無料での仕事であっても付き合っていきたい、という人と仕事をする。

惚れた人と仕事をする、ってやつですね。コレは、ためになる仕事の作法だと思います。

くれぐれも、下心にはお気をつけください。人は、感じ取るものですから。

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