新撰組ファンからすると怒られるかもしれませんが、今日の出来事を少し。
父が観ているテレビを眺めていると、どうもそれは新撰組っぽい。僕にとって新撰組とは「階段落ち」のイメージが付いてまわる程度で、他に詳しく語ることのできる存在ではありません。
新撰組に所属していた人に、近藤勇や沖田総司がいるということ程度は「ああ、そういえばそうだった」と知ってはいるけれど、自ら積極的に語る存在ではない。タイとかトルコとか、に比べると、語ることができない。繰り返しですが、池田屋さんの階段落ちだったかな、程度。
テレビを眺めていると、新撰組の旗がなびいていました。この旗には「誠」の一文字が記されています。これまで30年ほど、新撰組の文言を知ってから「誠」の一文字を見てきたと思いますが、そういえばなぜ新撰組なのに「新」「撰」ではなくて、「誠」なのだろう。そんなふうに思ったので、早速検索。
新撰組で調べれば出てくるかと思いGoogleで検索してみると、「日野市」という見慣れた都市名がそこに登場。日野市ってあの日野市じゃないよな、とクリックしてみると、まさかのあの日野市。高幡不動がある日野市ですね。
僕はかつて小学校3年生の夏まで日野市の南平というところに住んでおりまして、もともと自分のルーツを辿るグレートジャーニーでは日野市の南平と平山に行こうと考えていました。多摩動物公園まで歩いていこうと思えば山を越えて行くことができ、お参りといえば高幡不動だった日野市の思い出。
小学校1年生の時に関山くんというガキ大将に噛みつかれ、泣きながらやり返しては友情を育んでいったという思い出の地です。ちなみに余談ですが、このエリアからは他に引っ越す親御さんが多く、僕の家もそのひとつなのですが、転入生よりも転校していく友人のほうが多かったのも、色々考えるところではあります。
それで、新撰組と日野市。
どうやら新撰組の発祥の地が、日野市だと。そういう日野市のWEBサイトがあるのでこれは本当なのかもしれませんが、あまりにも意外すぎて唖然としてしまいました。
なぜなら、これほどテレビで著名な方々はいないと思われるのに、小学校3年生になっても誰も、学校や近所の方々、両親まで「日野市は新撰組の発祥の地である」なんて言わなかったからです。
先ほど父と母に「知ってた?」と聞くと、「知ってたよ」と。だって高幡不動にそれっぽいところがあるからね、と。
え、高幡不動には何度も行っているけれど、新撰組っぽいモノは見たことないけどなぁ・・・多摩動物公園と多摩テックの看板程度、あとなんとかまんじゅうだよな・・・。
こんな感じで、「誠」の字を調べようと思ったら、新撰組と日野市の関係を知って驚いた次第です。
結局のところ、「誠」の字は調べていないのですが、なんでも調べてみるものですね。
世界は広いということを感じた、ひとときでした。
P.S.
ちなみに写真に写っているのは中平さんです。中平さんといえばサウナと誠なので、「誠」のイメージとして・・・。
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