村上龍の作品ならほとんどすべてを読んだことがあるほど、割と好きな作家です。村上春樹も好きですが、僕は断然村上龍。ちなみに村上春樹なら、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』。これ以外ならば、『雨天炎天(だったかな)』という旅行記。共におすすめです。村上龍ならばやっぱり『愛と幻想のファシズム』、そして『5分後の世界』とかかな。『ストレンジ・デイズ』なんかもいい。なんか、カッコいいんですよね。
それで、『すべての男は消耗品である』。この本というかエッセイは数冊出ていたと記憶していて、何冊か読んだことがあると記憶しています。しかし内容は覚えていないのですけどね。
しかしこのタイトルにはドキンと来た。すべての男は消耗品である。僕はこの言葉に、昔からエライ深く頷く男でした。
こういうと同級生の女性陣が「信じられない〜」とか言いますが、僕は男の役割って結婚生活や家庭においては限定的なもの、つまりお金を持ってくること以外に役割を見出すことは難しい、と考えています。愛じゃメシは食えないだろう、って感じ。ここ、誤解を恐れずに言いますけどね。
日本でもホントはそうなんじゃないかなと思っているのですが、金の切れ目が縁の切れ目ってこと。特に男にとってはこれが当てはまると考えていて、男は女にお金を渡せなくなったら別れ時が近いだろうと、僕は実体験からこれを信じていました。
僕が家庭を持つタイはこの傾向が顕著だと思います。いやベトナムだって中国だってそうかと。日本が、建前を気にして言わないだけだろうと。少なくとも僕は日本において女性陣がこう話すのを聞いたことがない。たまに一対一での会話になった時に、「たしかにそういう側面もあるわよね」とは言っていたかな。人前では言い難いというか。そりゃそうか。
タイでお金を騙し取られていた時に気づいたのですが、それでも満足している自分がいました。これはいったいなんだろうと。考えてみたところ、ああ、オレは女性にお金を上げる事に生きがいを感じているんだな、と。これ、なかなか言えないですよね、日本においては。人助け、という意味では寄付と同じだと思うんですけど(いや、違うか)。
それで、すべての男は消耗品である。これはまさにそうだと僕は考えていて、確かカマキリがそうだったと覚えているのですが、カマキリのメスは交尾中に、オスをエネルギー源として食べてしまうのです。こういう愛の形もあるんだな、と思ったものですが、生物とはこういうものなんですよね。
これを知ったとき、ふと思い出してみたわけです。ヒトとヒトとの交尾・・・いや性交・・・セックチュ、、、の時って、男は何か吸い取られる感じしませんか(どうでしょう、男性諸君)?エネルギーとかすべてが吸い取られていく感覚というか。そしてその後、目の前の女性の肌ツヤがイキイキしてくるというか。
これ、僕だけじゃないと思うのですが、怖いと感じたものです。オレたちは喰われているぞと。出すだけ出したらそれさえもエネルギーとして女性は体内に取り込んじゃうんだぜ、と。科学的に調べたわけではないですが、やればやるほど肌ツヤが増していく、艶っぽくは変化していく女性たちを前に、僕は思ったわけです。
このままオレのエネルギーが枯渇したら、女性たちは次の男性を求めて他へ行くだろうと。女性の通るところ、男性の屍が残る。これが生物界の真実か、と。
ああ、ホントにすべての男は消耗品である、と。
しかし昨日、木坂さんの「7つの鍵」ライティングセミナーが終わり、僕はある支援を得ることができました。それは、木坂さんのマッチョリズムというか、すべての男は消耗品であるがゆえの生き方についてです。
僕が考えてきたことに根拠があったんだな、ということで、これをビーコンするためのセミナーを、3月21日と22日、もしかしたら27日に開催したいと思います。
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コメント
小野さん
お楽しみ様です!
男は消耗品。
お金とベネフィットだけと。
俺は、そうは思いません。
その理由は結婚する前は、俺自身時給730円で
死にかけた経験があったので
子供も出来るかわからない状態でした。
7つの鍵の話を女房として
それは本当なのか?と思っていて
今の俺には共感が出来ません。
エネルギーを吸われるのでは無く
視点をかえたら、与えるマインドですよね?
小野さんもコミュニティーに対して
人生を生きる上での栄養を与えています!
マイナスでは無いですよね^_^
湯川さん、ありがとうございます!
いや〜実は僕も同感なのです。
書いてくださった内容というのは両極だと考えています。
「吸われる」のは「与える」からだと。
目が覚める洞察を、ありがとうございます。
システム1とシステム2の話を、ぜひやりましょう。
智頭の御柱祭で、待ってます^ ^