他者理解を得ることの効果。

License to beat
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最近は何かの集まりに参加すると「あの小野さんですか?」、のようなことを言われる事が増え、ワイルドサイドを歩こうよの島田さんをはじめとする皆さんが好意的に周囲に伝えてくださっているんだな、と感じています。

そしてタレント化プログラムやビーコンコーチングに参加する方々、今回License to beatに参加する方々も、(たぶん)好意的に伝えてくれているのだろうと。

ある種のコミュニティにおいて僕は、他者理解を得ているのだと感じています。

「ビーコンの小野ね」
「ストイックな小野ね」
「写経の小野ね」
「ビジュアライズの小野ね」
「起床直後に腹筋の小野ね」
「セールスレター1ヶ月10本納品の小野ね」
「トンプソン教徒の小野ね」

こんな感じ。他にも多分、人の数だけ存在するのだろうけれども、抽象度を高めると「やり続ける男」のような他者理解かな。

こんな風に「ほにゃららな誰々」のように言われるようになると、周囲から声をかけてくれるようになる。それはたぶん、一目置かれるようになっているから。後藤さんにしても、京都日々新さんにしても、多分同じじゃないかな。タレント化プログラムに参加する2人もそう。何らかの、他者理解があるってことです。だからこそ向こうから声がかかってくる。

面白いのは、この「ほにゃららな」というのは他者が決めることであり、自分ではないということ。もちろん、こういう自分に見られるようになるというのもできなくはないだろうし、そういうふうに自分を見せる人もいます。しかし僕の場合、結果的にそうなっているというほうを経験しているので、僕が伝えられるのはこっちだろうと。評価は他者に委ねる。

そんなことを思いながら昨日出した「自分という器クラス」の初回課題は「あなたにキャッチコピーをつけると?」、そして「あなたの主張は何?」の2つ。

ビーコン箱根合宿でもやったこの課題に、各自脳を使ってほしいなぁ、という願いを込めています。いろいろな角度から、自分を見つめ、紙に書き出しておいて欲しいものです。

どう生きるかを決めるならば、その生き方にふさわしい他者理解を得てほしいなぁ、と。

1年後のひとつのゴールに、「ほにゃららな誰々」という他者理解を得るというのがあるかもしれない。

そのための方法は?

ひとつ僕が経験したことを紹介するならば、やっぱりコレ。

「誰もができることを、誰もやらないレベルでやる」

6月5日からLicense to beatで1年間の講座が始まります。

このブログでも紹介してければいいなぁ、と思うので、参加する皆さんは自分を高めていきましょう。

もちろん、タレント化プログラムと、ビーコンコーチングの皆さんも。結果として他者理解を得られれば。

P.S.
あ、6月5日からは自分という器クラスで、セールスライティングクラスは6月4日から、賢者舎クラスは6月26日からですね。

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