グレートジャーニーシーズン2に参加するメンバーとともに、今日は第一回のオンライングループミーティング。
テーマは島田さんが提案したカリキュラムに沿って、
私を見つめ直す。
私たちはどこからやってきたのか?
どうやって石垣島までやってきたのか?を手がかりに。
コレが第一回、1月のテーマ。
三ヶ月に一度のジャーニーでの体験を、より深く、日本人のルーツに、そして自分自身のルーツへと入り込めるようなテーマで学んでいけるようになっています。
そして事前課題は、
4万年前から3万年前にインドネシアから石垣島までやってきたと言われています。
「どうやって石垣島までやってきたのか?」当時の時代背景を含めて、調べてきてください。
オンラインミーティングでは各々が調べてきたことを発表することから始まりまして、
*草舟で渡ってきた(いかだは長距離航海に向かない)
*意図的に若い男女でやってきた(移住。激しい黒潮を越えてまで)
*海を渡らざるをえない状況にあった(食料など環境変化)
聴き取れる限り、このような意見が登場しました。
日本人がやってきたルートは3つあると言われていて、同じ南から北上するルートには海のルートの他に、南方ルートと呼ばれるヒマラヤ山脈を南に抜けて朝鮮半島から対馬に渡ってきたルートもあります(当時、朝鮮半島から対馬は陸続きだったと言われていたような)。
ですから、なぜわざわざ陸路でも行けたのに、海路を選択したのか。皆さんからの発表を聞いているうちに、ここが気になってきましので質問してみると
*海の向こうに陸地があって、そこに行ってみたいという好奇心から。
なるほどな、コレは確かに、と思いました。好奇心、あるだろうな、と思います。
一方で、エラい距離を移動するわけですから、もちろん冒険好きの祖先もいたのでしょうけれど、計画的に男女が対になって船に乗ってきたとするならば、やっぱりやむを得ない事情もあったのだろうと考えられます。
ここで島田さんが書き込んでくれたのは、
アフリカに始まるグレートジャーニー、人類大移動の旅は、急激な気候変動による寒冷化で食糧危機に見まわれて、まさに絶滅の淵に追い込まれたため、
という説。
となると、海のルートを使わざるを得なかった理由があるんじゃないか、と思案。何らかの事情でその地を離れざるをえなかったとき、海で漁をする人々ならば、陸路よりも海路のほうが自然な選択なんじゃないかとか、ふと思ってみたりしました。
次回のテーマを伝え、今回の感想を聞いて耳に残っているのは、「好奇心から船に乗って飛び出した、と考えたのだけれども、実は自分自身がそういう人生を送ってみたいということのあらわれなんじゃないかな、という気付きがありました」という感想。
日本人のルーツ、自分自身のルーツを辿り、よりよく生きる体験になればいいな、と思います。
ところで・・・
オンライングループミーティングが終わったあとで、リサーチ用に取り寄せていたDVDが到着しました。『新グレートジャーニー』の海上ルート編です。
早速、先程眺めてみたのですが、もしかしたら、という気付きがあったので記しておきます。
インドネシアのスラウェシ島からフィリピンに向かう途中、バジャウ、という人々に出会います。バジャウの方々は漂海民と呼ばれておりまして、海の上で生活をしているのだとか。
DVDに登場したバジャウの方は4世代が一緒に海の上で生活しており、獲った魚を開きにして船の屋根の上で天日干し。陸で生活することが当たり前と考えていた僕は、「地球に住む人々は、魂を重力に引かれて飛ぶことができない」と語ったクワトロ・バジーナじゃないですけれど、海の上での「生活」があるのかと驚きました。
そんななかで、一家のお父さんがこう言うんです。「船がいいね」と。その前を聴き逃したのですが、こう続きます。
「海ならば、食糧はいつでも手に入るからね」
コレはあるかもしれないな、と思いました。
その昔、インドシナとインドネシアが陸続きでスンダランドを形成していた時代、漁労に慣れ親しんでいた海洋民族がいたと。陸よりも海、といっても海岸よりでしょうが、そこで生活していた祖先たちがいたということです。
例えば徐々にですが、海抜が高くなってきた関係で海岸線に変化があり、獲れる魚を追いかけて船で北上していく。バジャウのように、海で生活する人々ならば、家族単位で船に乗ることは普通でしょうから、徐々にではあるけれど、魚を追い求めて見える陸地に沿って北上していったのだとしたら・・・いずれ日本に到着します。
石垣島へのジャーニーまで2ヶ月ちょっと。
もっと調べて、深めておきたいと思います。
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