イヤダイヤダと言いながら、Facebookを「仕事で使っているのだから仕方がないよね」とつぶやき眺める自分には、生活の改善を促したいところですが、そういえばとあらためて考えてみたら「ホントかよ?」と思った自分が存在するニュースが有ります。
それは、ドナルド・トランプのアメリカ大統領選出馬。だってドナルド・トランプって言ったらダン・ケネディのレネゲイド・ミリオネアシステムとかで登場するレネゲイドな男として、ですよ。しかも言っていることが過激と来た。そのドナルド・トランプが大統領選に出ていて、結構いい感じだったりする。たまたま見かけたドナルド・トランプの記事が「アップル製品をボイコットしよう」とかそんな内容なので、この呼びかけの意図はちょっとわからないのでなんとも言えないのですが、スゲー過激な主張を公約に入れているんだろうな、と想像。
しばらくはドナルド・トランプの動きから目が離せそうもないです。
さて、本題。
以前、人は誰もが夢の途中にいるんだけど、行きたい場所も現在地点もわかっていなければ、夢の途中にいることすら気付かないものだよね、というような話をどこかで書きました。
年収でいくら欲しいとか何を手に入れたいとかって実はゴールになり得ない、目的そのものではない。これらは手段、ですから、これだけだとゴールにならない。ゴールに至るマイルストーン的なものにはなるかもしれません。タイで人生の3分の1を過ごせる自分になる、そのためには3年後には何をしていていくら必要で・・・のような感じで。だからこそ自分のコア・バリューとか在り方とかを言葉にしましょうよ、と。
そして現在地点。自分の行動とその結果を振り返ることなしに、自分がどこにいるのかは把握できませんよね、と。オレはこういう人になりたいとか、オレはこういうふうに生きるべきだとか、もちろんそういう在り方を語るのはいいのだけれども、在り方はこれまでの行動と結果から連続しているもの。
変化することはあっても、その人という人物が入れ替わったり生まれ変わったりするわけではない。一つの個体、自分という器は変わらずしてその中身が変化していく、ということですから。
自分というものは、いわゆる過去から未来にかけて、連続した存在なんだな、と。
それに地図を思い出してみると、「タイのバンコクに行きたい」と考えたとしても現在どこにいるのかがわからなければ地図の使いようがない。もちろん目的地を確認することはできます。しかし現在地がわからないのであれば、どういう移動手段で、いくら位掛かりそうなのかもわからないですし、歩いたりヒッチハイクしたりしていこうにも、どっち方向に進んでいけばいいのかわからない。
さすがにペルーにいてヒッチハイクして「バンコクまで」なんて言ったら、こいつはどうかしてるぜ、ってなりそう。そもそもバンコクって何?とかも言われそう。個人的には、おもしろいですが。
移動するとき目的地と現在地はセットであるように、未来を語るなら現在を知らなければならない、と僕は考えています。
ビート・ザ・コントロールというと在るべき未来に向かっていくんだというメッセージ性が強いように感じますが、根幹をなすコア・バリューを発見したり、マスタープランをつくったり、理想の一日を書き出したり、という行動は現在に至る自分の行動と結果があってこそ。
まずは現在地点を知ること。
自分を知ることから、はじめよう。
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