受け継がれない教育は罪なのだろうか。

ひとりごと
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ひさびさにダイレクト出版のセールスレターに反応しました。リアルインサイトの台湾視察です。

どこに反応したかというと、台湾視察とリーダーシップ、李登輝氏、そして今の台湾は日本の教育がつくったという一文。

教育といえば、世界一の教育と言われるようになったフィンランドは、私たちがやっている教育は元はアメリカから来たのですよ、と言っていましたね。

台湾で当時行なっていた教育がどんなものなのかは想像するに過ぎませんが、1945年を境にして日本の教育が変わったことは、占領政策を学ぶと想像できるようになります。

歴史教育についてはどこの国の歴史を学んでいるんだろう、という程度に日本の視点が欠けたものになっていることはよく知られたところです。

エルトゥールル号のエピソードや、その後明治天皇が生き残ったトルコ人に行い感謝されたこと、これらを知らずにイラン・イラク戦争の時にトルコ航空がテヘランに日本人救出用の飛行機を飛ばしてくれたこと、自国民よりも先に日本人を飛行機に乗せてくれたことは理解できません。

生き字引となる人たちがいるうちに、受け継いでいかなければならないのではないか、という気持ちが動いたのかな、、、

朝から感傷的な気分です。

感傷的といえば、最初で最後として5月から開催しているパートナーライター養成講座。

パートナーライターの実態は、実はライターを養成するというよりもパートナー事業プランナーであったり、パートナー商品開発プランナーであったりするのですが、朝からエライ興奮するアイディアを送ってくれたりして、眠気が飛ぶほどです。

開催してよかったと、結論を出すのはまだまだ早いのだけれども。

受け継がれない教育は罪なのだろうか、と考えてみましたので、その一筆書きみたいになりました。

そういえばルーツもそうですね、受け継がれてきたものを知らないのは罪なんじゃないか?

そんなふうに思えるからこそ、今高知とか茨城とか、足繁く通っているのかもしれません。

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