自分という器を更新する(南国土佐の朝は夏でも寒い)。

ビート・ザ・コントロール
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今朝の目覚めは、高知県のれいほく地区。

ここがどこなのかを言葉で説明することはまだできないのですが、高知自動車道を南国インターチェンジから進み、次のインターチェンジで降りて少し走ったところにあります。

高知自動車道を走ったことがある人ならご存知かもしれませんが、というか、割と新しい高速道路はほとんどそうかもしれませんが、山を抜けるルートであることがほとんどだと感じておりまして、

結構な上り道を山へ山へと入っていく。

そんな印象を受けました。

奥まるほどに、ああ、なんとなくここは鳥取の智頭に似ているなぁ、と感じ、徳島県を流れる吉野川がれいほく地区から徳島県へと向かうのかと気付いた時は、この地区の潤い、人の温かさに納得がいった次第。

僕の記憶では吉野川流域はその昔(今もなのでしょうね)、肥沃な土壌で作物がよく育ったとか。

それはどうやら今でも同様のようでして(れいほく地区がです)、昨日地元の牛や鶏などをいただく機会があったのですが、

「え、高知にこんな美味しいものがあったの?」

という感じに美味しかったんですよね。

お肉以外にも昨日立ち寄ったれいほくファーマーズカフェのパンなんか、電撃が走るほどの衝撃的旨さを感じましたし、まぁなにからなにまで美味しいわけです。

夜のバーベキューをつくってくれた地元のおっちゃんがワインを飲みながら、なぜれいほく地区の食べ物が美味しいのかを、れいほく地区に限らず普遍的に通じる話なのですが、してくれたんですよね。

牛や鶏は食べるもの次第でうまくなるし、水温が冷たければ魚の身は引き締まるし、他にも寒暖差があるとなんたらかんたらとか(ど忘れしました)。

これまで僕は、高知の食べ物と言ったら東洋町甲浦で食べる皿鉢料理がそうだと考えておりまして、まぁ、これは私見たっぷりなんですけど、

「うお!これはウマイ!」

とはならないわけです。ストライクゾーンが広い僕は、なんでも美味しいと言って食べますが、食べた瞬間に目が見開き、

「・・・う、う、う・・・う、ウマイっす」

のように声にならないような感動はない。甲浦のおじや父には恐縮なのですが。

高知といえば暑いしなんか乾いて干からびているし、潮の香りがいつもするしで、なんというか、塩害ってあるじゃないですか、だから食べ物が美味しいという印象は、視覚的にも嗅覚的にもありませんでした。

しかし、このれいほく地区も高知県ですし、南国土佐という括りでいったら同じなんですよね。南国はともかく、土佐。

しかも今日目覚めたら、長袖のレインジャケットを着ても寒いじゃないですか。朝から鼻をすすりまくりです。

24時間エアコンを付けても暑かった甲浦という、僕にとっての南国土佐の情報は更新されました。

初めての体験、経験をすると自動的に自分という器がアップデートされるもの。

そういう意味ではやっぱり、発想は移動距離に比例するというのは、よくわかる。

それだけ多くの経験を、発想の引き出しと僕が読んでいる潜在意識に、蓄えていくのですから。

南国土佐という言葉もそうですが、木を見て森を見たような気にならないこと。

これはとても大切なことだなぁ、と感じた、れいほく地区の朝でした。

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